鳥のトイレ事情と鳥用オムツ
犬などと違って、鳥はトイレのしつけができません(その場でしてしまう体質なので)。じゃあ、「鳥用のおむつ」はないかと思って探してみると、こんなものを見つけました笑。鳥をペットとして迎えたい人や既に飼っている人にはいいかもしれません。ちなみに、僕が難易度だとか全部無視して鳥を飼うなら猛禽、鷹とかがいいな (仕事の関係でまず無理なので、眺めて楽しみます)笑。知り合いにもフクロウ好きの人がいるので、その人には僕からは飼うことを勧めてます笑
その延長で動画を見てると、こんな動画をみつけました。ペットとして長く生きた鳥の話。長寿なので、飼い主との別れを経験した鳥たちのお話。大切にされた記憶、傷つけられた記憶はしっかり覚えているんだと、考えさせられます。これをみると、安直な気持ちでペットを飼えないなと思いました。
親子や、教え子にも通じる?
同じようなことは、親が子供を迎える時にも言えると思います。子供は夫婦の愛があれば大丈夫、とか、ペットの面倒は私が絶対に見るからって言葉、それだけじゃ僕ならOKしないですよ。子供は親の想いを満たすためにいるわけじゃない、と。軽い気持ちで走った結果、思っていたのとは違う結果になったとき、果たして幸せにしてあげられますか?と。勢いじゃダメだと思うんです。ちゃんと周りが準備してあげる必要があると思うのです。
特に僕からしたら信じられない例が、親が子供を言うとおりにさせようと厳しく言いくるめたり、暴力をふるうような場合。それって、親の、もっと言うと大人のエゴだと思うんですよ。子供やペットが思い通りにならないのは、僕にしてみれば当たり前だと思います。自分のことを思えば、何もわかっていないところから学んできたわけです、はじめからはできなくて当然だと思うし、失敗を通じて学んでいくものだと思います。人の社会で生きるからには、その中のルールが大切なのは事実ですが、それ以上に、「思うようにコントロール」するのは違うと思います。失敗を経て初めて学ぶこともあるし、大きな問題がない失敗は見守っていればよいと思います 。犯罪だとか、事件や事故、怪我等に繋がるような場合に限り止めればいいと思うし、多少の失敗程度で注意していると、悪い意味のかまってちゃん(ほめられることより、失敗で自分に気を引こうとしたり)や、承認欲求の足りない子、自己否定や自信がない子、になりやすいと思います。こういうことは、子育てに限らず、上司として後輩や部下や教え子をみるときにも言えると思います。
仮に暴力や暴言がなくても、周りの環境次第で子供の心に傷が残ることを身をもって知っています。昔の話ですが、僕の家族の話を書きましょう。例えば親子が言い争う環境の話です。父と母は父方の祖父母と同居していましたので、母は嫁入りの状態です。兼業主夫、仕事に家事全般と料理をこなしながら、良い母、良い妻であろうと一生懸命頑張っていましたよ。周りの人や祖父母に表向きはそのようにふるまいながらも、裏で涙を流している姿を、息子の僕は何度も見ています。当時父と母の関係は僕が見ている前ではあまり良さそうではありませんでした。。父が母を怒鳴りつけ、母が泣いて荷物をまとめて出ていこうとすることも、1度や2度ではありませんでした。今でこそ、両親は仲良しですが、当時の父や母が何を抱えていたかは僕にはわからないし、直接彼らが僕を怒鳴ったり、叩いたわけではありませんが、この記憶を思い出すと大人になった今でも不思議と涙が出そうになります。こういう思いは、自分の子と、パートナーにさせたくありません。だから、罵り合うとか、相手を否定してかかるような喧嘩をしなければならない相手は、楽しくても僕は振ってしまうか、直すように注意してました (泣かせたこともあります)。もう一つ、どんな家でも、夫婦にとっては相手の家は他人の家だから、孤立してしまわないように自分が味方になってあげよう、と思うきっかけです。どんな親でも二人の愛があればいいと本気で思ってる!?冗談じゃない。子供にしてみれば、目の前で誰かが争ったり、いがみ合っているのをみるのは凄くこたえるんですよ。この、子供の部分、ペットに置き換えても成り立ちそうでしょ?
ちなにに、勝手に相手が主導権をもっていく (私は決めていいけどあなたはだめ的な) 関係にもっていきそうな展開になったら僕は拒絶 (注意したり、それはあり得ないと牽制したり)してます。友達でもそうだし、彼女でもそうです。大切な話はどっちが決めるとかじゃなくて、話し会いたいと僕は思います。100と0の関係 (自分が全部主導権を握るか、相手に合わせてついていくかの二択の関係)は僕は嫌です。Sだからか知らないけど、僕は追従や服従はできたためしがないし、これからもやる気がありませんね。勝手に自分のほうが上だと決めつけてきて、納得する前から上から目線でくるのは僕は凄く嫌いだし、喧嘩の種ですね。リンクでは「普通ではない」に関してですが、それ以外も似たことがいえます。
当時家には畑があったので、畑をさして「いつかあそこに家を建てて一緒に住もう。だからもう泣かないで」、こんなことを言ったと思います。
母にありがとうと言われたことは覚えていますが、その後のことはよく覚えていません。子供だったので、そのまま寝たのでしょうね笑。その後くらいからかな、夫婦の喧嘩はだんだん少なくなって、今ではまるでバカップルみたいになっている印象です笑。母になる覚悟を決めていた知人にこの話をしたら、子供からこういう言葉を母としてかけられると、救われる気持ちはわかる、と言われました。実際に母の場合がどうだったか、僕にはわかりませんが。今、僕は父や母、家族のことは好きだし大切です。このような件があっても、その後大切にされたことは、ちゃんと覚えていますからね笑。
今回僕が話した知人は、相手はギャンブルと女遊び大好きで貯蓄はなく、子供ができたらその子は稼業を継ぐことが家庭的には内定している関係の家庭に嫁入りすることを考えていました。このとき僕は、お前こそ母親になる覚悟がないと注意しました。生まれてくる子供は場所も環境も選べないんだ。親が選んであげるしかないんだよ。子供を幸せから遠ざける要因を排除するのが親になる覚悟だと思うよ?例えば、平気で不倫したり、子供を取り上げて必要以上に子育てに干渉する家族がいたり、暴力や暴言するような環境だったとして、子供がそれで幸せだと思うのか?と。。俺は違ったぞ、と。。家庭に入ることで相手の家の面子をたてているか否かなんて、子供にしてみればどうでもいいんだよ。そんなことより、自分を犠牲にして苦しんでる親を見ていると、子供まで辛くなるんだ、と。だから、子供のためを思うなら、そんな環境を選ばないでほしい。子供を幸せにする責任は半分は母親、半分は父親、二人がどれだけ愛し合っていようと、子供にとって大切なのはそこじゃない、と言いました。それこそ、そのときになったら変わってくれるなんてことはないよ、と言いました。突然変わることはできませんからね。変わるにしても時間をかけて少しずつですから、変わる覚悟や姿勢がそもそもない相手が変わることは、まずない、と。(なお、その後知人は話題に上がった相手とは別れました)。
男が父親になる前の責任って、子供に環境を選んであげることだと思う。
男だって考えますからね。勢いでみごもらせてしまう男も中にはいるけど、男としては、父親になる覚悟が出来ている状態って、僕は子供にとって「実害」だと思うものを遠ざけることだと思います。例えば喧嘩調や否定癖が多いパートナーだったら僕は注意してました。この意味で、毎日のように泥酔するまで飲むのはダメだと僕は思います (自分が子供だったら、相手にしてもらえない時間や、邪険にされたりとか、されてうれしいと思わないから)。楽しいことは付き合って最初のころは大事だと思いますが、一緒に生活するとなると、楽しいこと以上に、信頼できることが僕は大切だと思います(それこそ楽しいだけなら友達で事足りるし、パートナーとじゃなくとも行きたい場所に行けますし、買いたいものは自分のお金で買えばいいでしょ)。稼ぎとか夢を追うかどうかはまた別の話だと思います。お金が多ければできることが増えるのは事実ですが、稼ぐお金が多いほど幸せだというわけではないし、貧しいことは不幸だとは限りませんし。子供は生まれ来る場所も環境も選べないし、男は子を産むことはできないけど、未来の子にとって害になるものを遠ざけたり、守ってあげることはできるんじゃないの?と思います。そういうことを自覚する前に、後継ぎだとか、~にならせようと想いを巡らせるのは、僕には無責任に見えます。
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