京科学者のキレイになる実験ほか_ブログ内神庭研究室
科学者のノウハウが研究以外でも役に立つことを紹介する、なんでもありの趣味ブログです。 知識がない人にも科学の言葉を届けるきっかけになれればと思います。当初は美容系に切り込んでやろうと思っていましたが、仕事じゃないので手軽さを重視した結果、現在はグルメブログが中心になりました笑 間違えることはあるかもしれないけど、科学者として、嘘のない、正しい情報を発信するつもりです。 ※法令は遵守します(笑)
2026年6月2日火曜日
配られたカードで戦うしかない——大富豪から学ぶ「諦め」と「プレイング」の分水嶺
キャリアの基準値を守れ ~安売り連打を避けるために~
どんなに能力が高くても、活用される機会がなければ第三者には「無能」と変わらないように見えてしまう可能性がある。手を差し伸べられるまで耐えるためには、お金が重要だ。私は科学者としてのロストカットを株運用で一部相殺したことで、自身の安売りを回避し、次の機会を掴むことができた。
特に気をつけたいのが「繋ぎの職」で待遇を下げてしまうことだ。前職A(高評価)→繋ぎB(低待遇)→Cと移ると、Cの評価はBを基準にされやすい。さらにC→Dと続けば、BCがキャリアの基準となってしまい、Aの実績は過去のものとして参照されにくくなる。結果、キャリアは先細りする。
だから私はポスドクなどの繋ぎ職を転々とするキャリアを拒否した。BのレベルをAより高く(年収でも価値でも)引き上げ、安売り連打を防ぐことを優先した。
職を転々とするほど、過去の輝きではなく「直近の基準」で評価される。一度自分のキャリアの基準値を下げてしまうと、再び上げるのは困難になる。少しでも良い選択をするためには、なるべく価値の高い道に進むほうが良いと私は思う。
2026年3月9日月曜日
定年を上げるからには、中高年が夢を追える社会であるべき
夢を追うのは若者と成功者だけではないと思う、という話
今回の中高年というのは、若手より年上~高齢者より若い層としています。近年、若手 (新卒とか、~取得X年目とか) にチャンスを与える、みたいな話があります。それは良いことだと思います。
一方で、就職氷河期世代など、中高年の待遇、例えば中途採用であったり、転職市場をみてみると、特定の経歴とマッチしない層は、条件の良い待遇が少ない印象を持ちます。
- 社会的に問題ない団体等でしっかり務めた経験 (学校も含む) があって
- 犯罪や懲戒などの違反や、ギャンブルといった格別問題行動もなく、健康で
- という状態の人間が、所謂エリートや出世コースの外に出た場合
- 犯罪を犯したような人間と大差がないような待遇、賃金で雇われるような選択肢を見せられたとして
- そのが幸せと思えるか甚だ疑問に思いますし、
- それをみた若い世代が、(ああいう中高年になりたくないと )その業界の挑戦を敬遠することにつながる悪循環に思います。
- 仮にそういう「まっとうに働いていた (教育を受けた) 中高年がエリートコースを外れた結果貧困になる」というのであれば、政治とか行政側にも責任があると思います。
現実問題、日本で定年まで同じ会社にずっと勤務するみたいな形態から外れつつある現代では、新卒と中年を入れたとして、勤続年数に優位な差はないかもしれない、と思います。同じ能力であれば、若い方が優先というのはあると思いますが、若いからと言って残るとは限りませんしね。
若手層、エリート、成功者だけに偏った肩入れ (特にキャリアの若い時期の成果でその後がほぼ決まってしまうような状態) をするとどうなるかというとですね、以下のようなことが起こりやすい傾向があると思います。
- 運ゲーになる (人生の早い段階で選択肢に出会えた人が有利)、能力勝負の要素が減る
- 囲い込み、青田買いの温床 (ベテラン世代が、自分のために利用する、一部の人間に都合が良い人が優先的に残る可能性)
- 特定の人間の意思が介在しやすい (成果を盛るとか、妨害して蹴落とすとか、嘘をついてでもとりあえず立場をとったもの勝ちみたいになりやすい)
- 人材の空白が生まれ、より待遇の良い別の業界に人材が流入する可能性
じゃあどうしたら良いか、考えたとき、私が思うのは、
「能力があって素行に問題なければ、外様が成功者ルートに乗れる」
ということだと思います。必ずしも権威のようなものを否定するのではなく、強い奴はエリートに割って入れるようにしておく、逆転や追い抜きが可能的な。若手の支援は正しいが、エリートコースから外れた中高年を損切りとか、低賃金、低待遇に放り込むのは違うと思います。
残りの人生を諦めて、あるいみ「誰かの奴隷」として納税だけして生きる、みたいな選択をやりたい人間はいないと私は思います。老人が老衰させてもらえない、働いて納税せよ、というのであれば。仮に家庭を支えていたとしても、家族のためにリソースを使えども、自分にもお金や時間をかけるくらいのことは、中高年にも必要だと思います。何かを悟って、自分はこんなもんだ、と考えて分相応に生きようみたいな生き方は、私なら嫌です。だからブログとかをしているわけで。中高年が夢を見れない社会は衰退すると思います。
働くのであれば、いくつになっても、待遇か夢か、最低でもどちらかは必要だと思います。
2026年3月8日日曜日
夢とか想いは他人に託すものではないと思う
良い悪いではなく、私の好き嫌い。他人に押し活する人生では満足できない。
私は、「自分の夢とか目標を実現するのは自分だけ」と考えてます。人生には、上手くいくこと、上手くいかないことがあると思います。仮に自分が失敗して、何かを失ったり、上手くいかなかったとして、私は他人の成功でそれを代替する考え方がないです。
- 子供、教え子、部下、後輩など
- チームとか団体とか凄い人など
- 苦難を経験した自分と似た立場にある人
- 社会、システム、国など
そういうものが仮に私が欲しいものを手に入れたとして、それで私がやりたかったことが代替されたと思えません。他人がそれを達成したとして、私が満たされたことにならない。誰かを救うとか、誰かに肩入れすることをだめだとは思わないし、実際そういう人助けをやりますが、私が満足する道が残っていることが大前提です。私が誰かを助けることによって、私の道がなくなる、といいうのであれば、それは違うと思います。「私が自分が何かを達成することを諦めたうえでほかの人を押す選択」、になった場合、私にとって「自己犠牲」になります。だからやらない。私を捨て駒に使うことによって、誰かが何かを達成してもうれしく思わない。我が人生を度外視して献身するのは不愉快極まりない選択です。だから他人のタラレバを議論するより自分が進みます。
- まず私が満足することが優先
- 順序はともかくその道が残っているのが大前提
- 私の夢とか目標をかなえるのは私のみ
- 他人の夢は他人の物、私が干渉するものではない
- 誰かが似たことを夢や目標にするなら、それはもうその人のものであり、私のものではない
- 逆に、それを他人に背負わせると重いし、束縛になると思う (所謂毒親の一種になるよ)
夢とか目標は、他人に託すことができると私は思いません。やりたいことは私で達成を目指すのみ (輪廻転生などが存在しても同じで、来世の私のために今の私が献身するやり方は、私は絶対嫌)。盆に返らない覆水をみたら、私は他人でタラレバを満たせない。他人のタラレバに目を向ける暇があるなら、自分の器を満たすのみ。
2026年3月6日金曜日
過去より未来、悪口とか自分語りより、私は行動を選ぶ人
良い悪いではなく、私の好き嫌い。過去ではなく、未来の話をしたい。
あくまで私は、自分が前に進む選択をしたいんですね。だから、過去の話をあーだーこーだー言って、たらればの話をするような時間を持つなら、自分が前に進むために時間を使いたい人です。従って、以下のような選択には馴染まないです。
- キャバクラだとか (話を聞いてもらう形態)
- 第三者の悪口、マウント
- 傷の舐めあい
こういうことを悪くいったり、馬鹿にするつもりはないです。これらの選択は、視点が過去にあると思うんですね。対して、私は未来のために行動がしたいので、過去に力点をおいた場とマッチングが悪いのです。過去を語ったとして、それは未来に何かをしてくれるわけではないと思うからです。単に、未来に何かを得るために、正当に使えるものは使うということ。
- これをかいている時点で健康で五体満足
- 手を動かすくらいの時間、体力がある
- 過去の話をする時間があれば、こうやって何かしら一歩出せると思う、仮に些細な一手に過ぎないとしても
従って、腐るより前進。過去の話をしても、未来につながるわけではない。私は欲しいもののために時間を使いたい。単純に、雄であることを手放していない、という生き方を選んでいるという話です。他人や社会を前進させることより、「私が」前進する選択が優先度が高い価値観という話です。こんなブログですら、私の前進の糧になる。良い悪いではなく、これは好き嫌いですね。
2026年3月5日木曜日
私は、自己犠牲は切り札、常用しない
やっぱり人生は好き嫌いするよね、という話
私自身、自己犠牲という選択肢はあるし、必要だと思えばやります。ある意味、自分を「捨て駒」として使ってでも、誰かに活路を残す選択ということですが、私にとって、最終手段に近い位置づけで、やらなくて済むなら基本的にやらないです。
- 家族が危険で、ここで体を張らないと危ない、みたいな極論の状態になったら選択肢に入る
- でも、例えば子供がいるからといって、自分の趣味とかのお金や時間の全てを子供に全部利する生き方はやらない。(ATM的な夫になることはない)
従って、研究を裏で支える仕事はできないけど、研究以外の職種を支えるのは苦にならない、みたいな歪みが起こります笑
- 技術職員とか行政などのような形で研究業界をサポートする形にいかなかった理由は、「ポルノグラフティ」の「アゲハ蝶 」の歌詞のごとく、私がやりたかった研究が「近づくことにできないオアシス」という位置づけになってしまいます。これは、元カノと一生付き合えないとわかっている状態で、元カノに未練がある状態で別の男と元カノの生活を執事とかみたいな形で支えるようなものです。だから能力的に向いていても感謝されても、何人後進の人生を救うことができたとしても、絶対に嫌、と思います (研究に関わるなら、自分がプレイヤーでありマネージャーであることは譲れません)。
- でもこれが研究以外の業界になると、相手が元カノの位置ではなく、新しい目標になった時点で彼女の位置になるので、支えることが病まないどころかむしろ積極的に選び得る選択肢に入ります笑。
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