2025年4月2日水曜日

[選択] 研究者のキャリアにうまくいかなかったら、サポートする人を目指す的な考え、私は200%受け入れない

爆弾発言二つ目、前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしましたが、それを読んだ人の中には、「研究の道でうまくいかないなら、研究する人をサポートする道を目指したら?」と考える人が一定数いると思いますが、それは私にはありえない選択だ、という話を書きます。そういう仕事をバカにしたり下に見たりしているのではなく、私にとってそういう選択は、「発狂しそうなくらい感情が爆発して仕事にならない」と思います。

良かれと思って、サポートする道を提案されることに対して。

現時点でこのような提案をされていませんが、仕事まで飛んだ私に対して、良かれと思って「研究の道でうまくいかないなら、研究する人をサポートする道を目指したら?」的な感じで、例えば技官 (技術職員、テクニシャン等) 等の仕事をしてみてはどうか、とかそういう仕事なら紹介してあげるよ、と声をかけられることはありそうだと思います。まず大前提として、研究をサポートする側の仕事をバカにしたり、下に見るつもりはありません。こういう人たちは研究に必要な人だし、自分が研究をしていた時もお世話になったし、一定のリスペクトもしています。給料が発生する時点で、その仕事は必要とされていますし、評価されていると思います。かつて研究をやっていた経験があるのならば、研究に何らかの形で携わったら良いのではないかって考え方。ある程度研究への理解はあるだろうし、マッチングも良いのではないかと思って、厚意から、こういう仕事もあるけどやってみたら的な感じとか、研究に何らかの形で携われるなら、別の形ではあっても研究で発散したら、などといった案件、基本的に全てお断りすると思います。そういう類の提案は私にとって、ある意味死体蹴りみたいな受け取り方になります。「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」に近い受け取り方になってしまうと思います。

能力的な適正云々関係なく、それをやると心が壊れるからダメ

サポートする道がなんで嫌かって言うとですね、自分はプレイヤーとして勝とう、上を目指そうと思ってやっていた側の人間なんですよね。実際できていたかはともかくとして、そういう思いをもってやってきたと。サポートする側の道って、研究には関わることができても、自身がプレイヤー側として関わってきた人やものに、「自分がプレイヤーとして関われない」世界線でかかわっていくってことになるんですよね。例えば、技官であったら、研究の現場で実際に現場で手を動かすといったことはできるけど、自身の主導のプロジェクトを回す形ではなく、自分ではない誰かの考えたプロジェクトのある意味手足としての参画になると思うんです。漫画の世界で言えば、漫画家になりたいのであって、プロのアシスタントをやりたいわけじゃないって状態に近いでしょうか。他の例だと、高校野球で、選手としてある時までレギュラーで出ていた人が、ある時チームのためにベースコーチに入るとか、スコアラーだとか、ベンチでチームを鼓舞するとか、そういう役割をやってくれって言われる状況と似ているかなって思います。そういう役割は大切な役割だし、チームとして必要とされていると思います。だけど、私はこの状態で仮にチームを勝たせたとしても、一緒に喜べないって思います。その提案をされたら、私ならチームを辞めるとか、別の形で上を目指すとかを考えると思います。あくまでプレイヤー側としてやりたかった世界線を、目の前でそれを見せられながらも、自分が関われない現実を受け入れ、支える役割は私には耐えられません。その立場になったら、自分がありたかったこと、やりたいこと、それができないもどかしさ、怒り、いろんなものがこみ上げてくると思います。歌だと、ポルノグラフィティのアゲハ蝶とかが感情的には近いと思いますね。実際にやらなくても、考えるだけでものに八つ当たりしそうにな気持ちになるし、それを吐き出しても、押さえつけても、発狂しそうになるくらいいろんなものが出てきます。

選択はスペックではなく、心が決めるもの

私も含めて、感情がある一人の人間です。能力、適性、経験、そういったものはありますが、盤上の駒みたく、スペックだけで決めれるものではないと思います。能力的に向いていること、向いていない事は誰でもあるでしょう。それ以上に、納得ができるのか、満足ができるのかといった感情の要素の方が大きいと思います。能力的には向いていて、期待されていたとしても、心が受け入れられないことをやったら人は壊れてしまうと思うし、私もそうだと思います。だから私は研究をサポートする側の道に進む気持ちはありません。そんな優しい選択は、私にはできないと思います。やるなら自分が達成したいと思うから。サポートする側の人もそこに至るにはいろんな経緯があると思うし、自ら進んでその道に入った人もいると思います。そこについてどんな風に思うのかは個々に違うと思います。私のように考える人もいれば、そういう考え方はしない人もいます。どんな仕事をやるにせよ、成果をつくるためにはやりたくてそれをやっている人との競争になると思います。人間、結局は感情です。心を壊しながら走る人生の意味ってなんだって思います。人間に対しての采配に限ればね、感情を考えない采配ってね、基本的に勝てないと思いますし、なにかずれていると私は思います。

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