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#個性的 とか変わってるね、といわれた時、腹たつ時とそうでない時があって、不思議に思ってた疑問が解決!ムカつくやつは、#上から だ。変わってるね、そんな人もいるよね、、そう思うのは勝手だけど、俺がお前の思う普通を踏襲する必要ないし、それを守らないからと言って上から目線でくるのは違う!— 神庭圭佑 (Keisuke Kamba) (@KambaKeisuke) 2018年11月3日
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変わっていることと、劣っていることは別の話だと思うんですよ。思えば、変わってる→劣ってるって考える輩が気にくわなかったのでしょうね。そういう相手に対して頭下げて、下っ端でいいからあなたの集団に入れてください的な態度、僕はやらないですね。嫌な立ち位置になる連中とは群れるつもりはないと思っています。鶏口牛後、無理を強いて群れるより、一匹狼のほうを僕なら選びます。地位があるからとか、可愛いからとか、ある集団でもてはやされる人がいることはわかるし、持ち上げる人がいるのもわかる。だからと言って、僕がその人たちと同じ行動をとる必要がどこにあるのでしょうか?僕にはそういう態度の意味が分からない。ここで集団についていくことと空気を読むことは違うと思います。選ぶ権利は、当然皆にあるでしょう。仕事上僕の目上の立場やそういう業務の場合、僕と契約関係がある等なら話は別ですが。良識を守り、相手に迷惑をかけた訳じゃないのにそういう態度で来られると「お前何様だ、調子に乗るな」と思う。さもわかったつもりで人のことを決めつけた結果、下に評価されるといい気はしないし、それを認めさせるだけの力が相手にある場合を除いて、拒否するのは当然だと思うわ。— 神庭圭佑 (Keisuke Kamba) (@KambaKeisuke) 2018年11月3日
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#空気読む という言葉を集団の中の特定の誰かの機嫌をとる意味で使うやつへ、お前こそ #空気読め 。皆の居心地よくする方向に持ってくのが本来の姿で、#お山の大将 や #おつぼね を立てるのは違う。そういうところが #イジメ や #権威づけ の始まりだったりするから注意しましょ— 神庭圭佑 (Keisuke Kamba) (@KambaKeisuke) 2018年8月5日
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「友達が居ない。」— プロの発達障害者🇲🇲 桜井🌺 (@sakurai7715) 2018年6月30日
「誰も私を助けてくれない」という人は俺の経験上、その人に問題があることがほとんどだ。
例えば、自己開示したり、困っている人の為に動いてれば、誰かしら味方になってくれる。
口が悪い、他人に何もせず、自分のことばかり。
こういう人と誰が友達になりたいのだろうか?
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変人だとしても、他人に迷惑かけなければ、普通に一般社会でやっていけると思います。許容されない変人は、本人の自覚の有無は別にして、自分のこだわりを周りに強いた結果、多少なりとも実害を出してることが多いと思います。私自身、変人だとよく言われますが、変なことは、劣っているのと違います。— 神庭圭佑 (Keisuke Kamba) (@KambaKeisuke) 2018年11月3日
一連の投稿から伝わると思いますが、僕に忠誠とか従順という概念はありません。自分にしろ相手にしろ、何者かどうかなど、僕にとってはどうでもいいのです。だから、ブラック~といったものやいじめの類とは基本的には馴染めません。特に、自分より弱い(論破できるレベル)の理不尽を、無条件で受け入れることはしませんし、なんなら理不尽に対して、自分の大切なものを守るためなら、僕は相手を滅ぼしてもいいという認識です。特に相手のプライドには容赦ないとよく言われます笑。例えば、「言い返されたくらいで傷がつくレベルの面子なんてないのと同じ、ごちゃごちゃうるせぇわ、文句があるなら実力で示せばいいだろ、今ここでやって見せろ、お前が一人で。」、正論でしょ笑!?僕だったらこういうのやるなら、周りの人が見てる前でやりますよ笑。ちなみに、上として見られた場合は、かしこまらなくてもいいよと言えばいいし、こっちからリードしやすいので、ムカつきはしないかなぁ。
僕は地位や評判とかではなく、相手をみるときは、人としてのその人を見ます。△△の人は一般的に〇〇だという経験を持ってたとしても、目の前の相手が、そのテンプレに当てはまるとは限りません。それぞれ別の人ですからね。
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反対意見を言われたら、 #アンチ (or 人として否定された)と勘違いする #バカ へ。多くの場合は、あなたを否定した訳じゃなく、たまたまその意見が共感できないだけだから。こういう勘違いするやつはリアルでも多いが、多くの場合、全面肯定や全面否定は有り得ないよ!?そう見えるなら、視野が浅い!— 神庭圭佑 (Keisuke Kamba) (@KambaKeisuke) 2018年11月2日
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教員に限らず人間関係全般にそうですね。もっと一般に、悪いことや失礼なことしても注意してこない人は、優しいからでもチョロいからでもなく、単に君に対して興味がないから、あるいは期待してないから。そういう人ほど、人情に訴えても効果が薄く、容赦なく人を見捨てる印象です。怒る人より怖い。。— 神庭圭佑 (Keisuke Kamba) (@KambaKeisuke) 2018年10月29日
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2-4ちなみに、怒る方は、相手のためにあえて厳しく注意することを「叱る」、自分の怒りを他人にぶつけることを「八つ当たり」、他人を否定して自分の意思通りに動くように仕向けることを「調教」、あえて怒って見せてこちらの意図を伝えることを「牽制」と呼びます。それぞれ別物、誤解しないで!— 神庭圭佑 (Keisuke Kamba) (@KambaKeisuke) 2018年10月30日
品性のある人でありたいですね。舎弟というか、集団のケツについていくようなのは僕は苦手だし嫌いなので、周りに合わせるより自分が良くなる方向で頑張りたいと思います。日本人のステレオタイプに足並みを揃える必要を感じません。良いものは良いでいいし、目指していい。— 神庭圭佑 (Keisuke Kamba) (@KambaKeisuke) 2018年10月29日
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誰かと比較するのをやめて自分であろうとすると魅力的になる気がします。というのは、才能って自分の感性だから、それを信じて肯定してあげる状態が自分の中で一番強いと思うから。他人と比べる必要はないけど、才能勝負したければ過去の人が脈々と作ってきた基礎は一通りかじるべき— 神庭圭佑 (Keisuke Kamba) (@KambaKeisuke) 2018年10月28日
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2-7#キャラ だとか僕に何ができて何ができないなんてことを他人に決められるつもりはないし、何ができたっていいと思う。できることを紹介すると、#自慢 だとか言って噛みつく奴が少なからずいるけど、正味、そんなものはどうでもいい、俺はやりたいことをやるだけ。イチイチ謙遜や忖度から入る気はない。— 神庭圭佑 (Keisuke Kamba) (@KambaKeisuke) 2018年10月25日
弱者を抱えることが人間という生き物の生存戦略だと思いますけど。環境や社会の仕組みが変われば、強弱の基準も変わるわけで、今活躍する強者が行き詰まった時こそ弱者の出番。逆に強者側の価値観だと弱者側の想いが分からず意思疎通に困るので、強い側から歩み寄るべきだと思う。その上で横柄な政治×— 神庭圭佑 (Keisuke Kamba) (@KambaKeisuke) 2018年10月27日
思いついたことを小出しにしながら、たまにまとめるって使い方、ツイッター便利!
自分と相手が何者か気にするのはめんどくさいし、正直そんなことどうでもいいと思います。思うことは言えばいいし、言い返されていいから、顔と名前も出しています。
1円から支援が可能です笑。DIYや返済不要の自前の奨学金的等の参考になるかも笑
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