2020年4月17日金曜日

プライドのために生きる人に、人はついていかない。それじゃまるで捨て駒だ。だから私は、お前を手にかけた_#575

自分のプライドのために生きている人に、人やお金はついていかない、というお話です。なぜそう言い切れるかというと、実際私が人を手にかけているからです (あくまで、心の話であり、相手の心を壊すことはあったかもしれませんが、犯罪等は一切行っておりません)。だからこそ、私は人に序列をつけず、味方を捨て駒に使うことはしません。ツイッターでこういう反論したら意外と反響あったので詳しく書いてみます (プライバシー等の観点から、一人の例というより、何人かをまとめてます)。


 結論から言うと、私は自分が上の立場の時は、「俺のために働くな、チームのために自分を捨てるな。君は何をしたいの? お互いのやりたい方向を踏まえて、ここでお互いが有意義に時間を使う方法を一緒に考えようぜ」的なスタイルを取ります。実際こういうこと言います。


 当たり前ですが、皆それぞれ自分の人生を生きています。それぞれが、やりたいことがあるはずです。誰かのために、自分が犠牲にされる (捨て駒にされる) のは私なら絶対に受け入れられないことです。自己犠牲をするときはありますが、そういう場合は自分から進んでやるので、犠牲を強いられるのとは違います。そして、人の場合、プライドか、誰かの人生のために他人を犠牲にする。そして、犠牲にされる側にされそうになった場合、捨て駒にされるならばその相手を手にかけてしまえ、と思うこともあるでしょう。戦国時代の下克上等も、このような状況で行われたのではないか、と想いを馳せることがあります。相手からすると、そこまでのつもりはないかもしれません。単に優先順位の問題のこともあるでしょう。好き嫌い等も同じようなものです。しかし、それは相手の事情で、切られた側と切る側の想いが同じははずがないのです。相手には相手の事情があるのは当然ですが、それを受け入れるか否かは話が別です。相手が凄かろうが、何者であろうが、そんなことはどうでもいいのです (自分が凄くなったからといって、他人を使い捨てていいわけではないということでもあります)。少なくとも、私は、「捨て駒にされたと感じたとき」(相手からはそうではなかったかもしれませんが) どうしても受け入れることはできませんでした。


 その人が、自分のプライドを優先しているか、それとも、一緒にやる人を大切にしてくれているのか、態度で必ず伝わります。投資家としてみても、プライドを守っている人と、何かを追いかけている人なら、能力が同じなら後者に期待したくなりますね。前者は保身であり、未来があるように思えないからです。そのプライドを守る先に、明るい未来がイメージできないのですよ。他人のオ〇ニーを見せられて何かを期待することができますか?、といった類の問いでしょうね。そして、自分が目下の立場で、相手が自分のプライドのために、自分を使おう (酷使される状況や充分な見返りが期待できない状況) の時は、私なら、必ずその相手を裏切るでしょう。やり方は二種類、斬り捨てるか、逃げるかですね。詳細な状況はブログでは書けないので、その時の気持ちを音楽で表現しますね笑。

斬り捨てる
音楽で例えると、KAITO (ボカロ)、針音ノ時計塔ですね。おとぎ話の王子様が迷いながらも悪を討つ体の歌。RPGのボス戦前的な感じでもある。普通に聞いてもいい曲だとは思いますが、裏切り的な要素を入れて聞いてみると深いんですよね。
歌詞からしっくりくる部分を順番無視して抜き出すと、
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もう迷わない、たとえ避けられぬ戦いでも、あなたに刃を向けることになっても。
時計塔の頂上、椅子に座り朽ち果ててるあなたは、悪魔かそれとも私の母だった人か....
いつか時が経ち、この苦悩を笑える日がきたなら、この手で書こう真実の物語を。
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悪魔と母、という表現から、受け入れられない要素と感謝や大切さ等で揺れているというニュアンスに。迷いと葛藤の表現と勇ましい曲調から (歌詞はほとんど戦う前の迷いの部分で、戦いパートはあっさり終わる)、実際に手にかけるときの心の動きを連想します (実際にやった身として)。ちなみに、僕は家族とは戦ってません笑
逃げる
曲で例えると、MEIKO (ボカロ) の魔女ザルムホーファーの逃亡がしっくりするでしょうか。斬り捨てるほど強くでない時、もしくは強くでれない人だとこういう感じでしょうか。最初は、共感して相手に染まっていく。しかしある時、何か違うぞと思う。そして、それが身勝手だとは思えど、大切なものをもってそこから逃げる的な感じ。この曲の場合は、お母さんが子供を連れて逃げるというエピソード。お母さんが自分で、子供に相当するのが、夢だとか家族だとか、何かしら。
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悪に惹かれたなら、自らも染まっていく
身勝手なのはわかってる、この子たちを玩具にはさせやしない!
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この曲は、クライマックスのサビのあたり (身勝手はからサビまで) が刺さります。僕はきいてるとお母さんの気持ちに共感して涙が出そうになりますね。何だかんだいって、相手を責めるというより自分を責めた結果の葛藤な感じかな。ちなにみ私はこうなることは少ないですが、元カノに向き合って本当の意味でこういう気持ちを理解しました。
実際の私のエピソードから
この人が大切にしているのは、私じゃなくて自分のプライドだって思ったときの気持ち。歌で表すと硝子の少年 (カバー版の中で個人的にお気に入りを挿入。山下達郎 ver.を添付/ KinKi Kids ver.は著作権の関係でブログには張れないよ笑)。ある意味振られた感じ、それも相手に自分より意中の相手がいる状態、と似てますね笑。そりゃ、理解はできても納得ができないことってあるでしょう?
違うな、と思った中で我慢しながら耐えてたときの気持ち。いきののがかりのブルーバードがドンピシャですね。まるで自分は籠の中の鳥だ、と (ブルーバードは籠の中の鳥が自由を求めて籠から飛び出すみたいなイメージを受けます)。ただ、ここから出たかった。。。まあ、いつやるか、それともやらなくてもいいのか、タイミングは計ってましたよ、機を読めずに突っ込むバカではなかったので。
手にかける。状況そのものを第三者的にみた選曲をすると、「君をのせて」。あるいみ天空の城ラピュタの「バルス」ですね。私がバルスして、バルスされた相手がどうなったか、というのは表面的な要素で、それ以上に君をのせては、「旅立つ子供を見送る親の気持ち」を歌ってるように思う。「ブルーバード」から二つに分岐する感じ。私の心が、「針音ノ時計塔」→決別だとしても、「君をのせて」→いろんな想いがある中で、最後は見送る、という感じなんだろうな、と後から考えれば思う。Macro Stereo & Elmonさんのカバーから二つ目の挿入。
手にかける時の気持ち。KAITO (ボカロ)、針音ノ時計塔。やる側だって色々迷うんですよ。
手にかけた後の気持ち。Mr. Children のTomorrow Never Knowsがドンピシャですね。
自分が手を下さなかった可能性を他の人に重ねながら、少しの罪悪感と、それを超える大切なものをもって歩いていく、というイメージ。この歌は、明るい旅の歌って感じはしなくて、どこか闇だとか悩みを抱えた人が、抱えている何かを受け入れつつ一人静かに新たな旅に出かける感じを連想します。見送られての旅路ではなく、静かに去っていくような。まさに、手にかけてから、新しい道に進むときの旅の始まりの感じ。

その後、少し落ち着いた後。Mr. Childrenのイノセントワールドがしっくり。罪悪感が小さくなり、進む理由のほうが大きくなっていく的な。僕としてはこの歌はTomorrow Never Knowsの続きって感じがするのです。まさに旅の途中の気持ち。手にかけたことが遠い過去で、自分を動かす何かで進んでいる感じ、を連想します。
道を変えた後で。Mr. ChildrenのAnyがしっくり。最初に思ってたのとは違ったけど、これでよかったのだと、思いたかった。それでも進むのだ、と。「今僕のいる場所が探してたのと違っても、間違いじゃない、きっと答えは一つじゃない。」が一番グッときますね。手にかけて、道を変えて、旅をつづけた先にあるものが、思い通りではなくて、それでも変わらず進み続けよう的な印象でしょうか。
全部振り返って今思うこと。ロードオブメジャーの心絵がドンピシャ。場所は違えど、俺は頑張ってるよ。お互い頑張ろうぜってとこ。別に怨む気はないのさ。後悔はしてないし、謝る気はこの先もない。自分が手を下したことが間違ってると思うことはない。ただ、相手には引きずってほしくない。Anyの次に心絵ならべると、歌詞でもエピソードがつながってる感じがしますね。
番外編。人として変えられる時の話。英雄の鎧は常に紅く。相手を手にかけてから実力主義に走り、同じように何人か手にかけていた時がありました。イジメ潰し等もその一つであり、後に私のコンテンツとなります。例えばイジメ潰しを仕掛けるときの気持ちは、歌のように「冷たい目のまま剣を振り上げ、返り血を浴びている状態」といってよいでしょう (犯罪はしてません笑)。ある意味FFの暗黒騎士みたいなイメージが近い気がします。この歌では、子供を見て、男が父親になるところが描かれていて、程度の差こそあれ、似たような気持にさせられることってあると思うのです。僕の場合は、歌の娘の部分が元カノであり、人として変えられたと言えます笑。
 一方で、全くない感覚は、「自分を責める感覚」「自己否定」「復讐」でしょうか。だから病まない、ということでしょうね。長いものに巻かれて生きるとか、媚を売る的な考えは持っていないし、持ったことも持とうと思うこともないです。正義だとか悪だとかいうのは、大抵特定の人の主観に過ぎず、僕が相手を手にかけたエピソードの場合は、両者ともに自分から見れば自分が正義で相手が悪、という見方になるでしょう。そんなものは見る人によって変わるので、いちいち気にしません。ご機嫌をとって生きるつもりはないです。見る人によっては、傲慢にみられるかもしれませんね (自覚してます)笑。私は評価軸が自分の要素が強いSな人間であり、衝突した人の多くは評価軸が他人の要素が強いMな人 (プライド優先等) が多かったですね、振り返ってみれば。


 少し説教パート。俺にできて、お前らにできてなかったのは、負けを認めることだよ。歌で言うと、敗北の少年 (GUMI/あるふぁきゅんカバー)。「ごめんなさい」「負けました」、言えてないよな。都合の悪いことは人のせいにしやがって、クソが。~の顔に泥を塗るとか、~に恥をかかせるとか言う類のやつがだいたいこうだな。他人のせいで失う面子なんて、ないのと同じだ、馬鹿野郎!加えて、「一人でやる病」患者が多いんだよね子の手の輩。任せることができなくてなんでも自分で抱えると、自分も周りもダメにし、その結末はこういうことになるんだろうさ。
GUMI、セツナトリップより。

配られた手札が弱かったら終わりだって。先なんて知れてるって。覆せやしないって。
~分かっているんだ、言い訳だって。手札なんて自分次第なんだって。
いつまでユメに逃げてるんでしょ?ろそろおはようの時間だろ?
>まさにこれだ、クソ野郎共!
 どんな理由があれど、私はプライドのために他人を使っていいとは思いません。自分が上に立つ場合でも同じ、どんな理由があっても、相手を自分のために使い捨てていい理由にならないです。相手を使い捨てず、相手の声に耳をかける。(その結果その相手が自分の元を離れ、短期的には損失が出ることがあっても) トータルでみるとそのほうが良い場合が多い印象を持ちます。結局は人がやるものだから、感情は大事です。私も、いくら周りからは理性的な要素が強く見えるかもしれないけど、実際は感情的な人ですよ。ただ、誰にでもそれを見せるわけではないだけのことです (故に、見てあげるとか、わかってあげることを大事にしてます。誰もが出せることではないので。だいたい口にせずとも、何かしら抱えているものです)。
指導_下手くそとか不器用とか馬鹿は経験で克服できる。~私は人を指導するとき、手を放すが、個別に向き合う_#577
https://ofuro-wa-shifuku-no-hitotoki.blogspot.com/2020/04/blog-post_84.html
京科学者のキレイになる実験ほか_ブログ内神庭研究室
 このくだりを全て経験したからからこそ、伝えられることがある。今の自分を表すとしたら、コブクロの轍、がドンピシャですね。選ばれなかったことが許せず、相手を切り捨てたエピソードがあるから、自分がそれを人にしないのです。聖書のルシファーとか、FFの暗黒騎士あたりに近いものを感じますね笑。だから人にちゃんと向き合うって大事だと思います。自分を指す意味では「紅蓮華」 (LiSA)、周り向けは「こころのたからばこ」 (チョコボレーシングのエンディング曲) でしょうね。「紅蓮華」+「こころのたからばこ」=「轍」という印象でしょうか笑。
 味方を捨て駒につかうことはしませんが、敵なら話は別です笑。相手の打算に自分の打算を上書きして、相手を捨て駒として使い捨てる、といったところでしょうか (実力勝負じゃなくて打算で攻めてきた場合は。実力負けしたら普通に負けるので笑)。故に味方を捨て駒に使う必要がない、と思っています。
 実例を挙げると、例えばこの記事等がそうでしょうか。悪意があるマウントをあえて利用して、嫌がらせに対処するための教材として世に公開するケース (もちろん、相手からすると半永久的に恥を晒すことになりますが、相手から攻撃しているので私の正当防衛の範疇です)。
他人叩きで悦に浸る正義バカの吊るし方。優しい人が病まぬよう。。。喧嘩で策略とか悪口はこう使うのだ_#600
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京科学者のキレイになる実験ほか_ブログ内神庭研究室
 悲しいことに打算への対処については、天才に生まれてしまった、と思っています。スキルとしては、私は間合い管理とよんでいて、間合い管理は打算の上位互換という認識です。相手の努力だとか準備とか気持ちとか、自分の舐めプだとか関係ないんです。打算の類で向かってくる相手は、何を抱えていようと潰すだけです (実力負けすれば私は負けますが、実力部分を打算でカバーする戦いをされた場合は、私には多分有効打は入らないでしょう。あるいみ第六感に近いものだとすれば、ゲームや漫画っぽく名付けて「理不尽の極み/ Force Lord」としてます。ふざけてるように見えて、スキルにふさわしい名前をつけようとすると本質をつく必要があると思うので、これはこれで意味がありそうに思います笑)。
核心はん。ネットの嫌がらせを無害化する、広告を活用した間合い管理_#406
https://ofuro-wa-shifuku-no-hitotoki.blogspot.com/2019/08/blog-post_46.html
京科学者のキレイになる実験ほか_ブログ内神庭研究室
コマつながりで、回るほうの独楽笑

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