祖母がどういう人だったかは、こちらにまとめています。
昭和のキャリアウーマン~女性管理職で天覧授業を担当した教師、戦争の困難を耐えた僕の祖母の生き方から_#408
https://ofuro-wa-shifuku-no-hitotoki.blogspot.com/2019/08/blog-post_30.html
京科学者のキレイになる実験ほか_ブログ内神庭研究室
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祖母が自分は幸せな人生だったと言っていて、エピソードを聞くと、子供の時の話が多い印象でした。まとめるとこんな感じです。
- 祖母の母は、教養がある人だった。農家ではあったが一般的な農家の人っぽくない雰囲気、例えば、農作業一つとっても、それにどんな意味があるのか伝えたり、物事を考えさせる人だった。そのお陰か、祖母は勉強好きになった。ある日母の帰りが遅いので、(当時は十分な灯りはない) 夜農地に探しにいくと行き違いとなり、逆に自分が帰れなくなっていたところ、家族に探しにきてもらい、大事にされてると思ったとの事。
- 祖母の父は婿入りで、大人しい性格。あまり自分から話したり、盛り上げる人ではなかったが、祭りのときは外に連れ出す等、自分のことを気にかけてくれたこと。
- 祖母の祖父は厳格な人。この人も婿入り。当時祖母の実家で彼が養鶏をしており、年より世代の中ではお金があったほうだった。そのお金でいろんなものを買ってもらったり、よくお小遣いをもらっていたとの事。昔は一族で集まる祭があったが、よくその集まりに連れて行ってもらっていた。7人いた他の兄弟に比べて、そのような待遇を受けるのが自分が多かったので、大切にされたと思った。
- 実家が山間部の一軒家で、周りと比べて大きな家に住んでたこともあって、同世代の「いわゆる普通の人」とは馬が合わなかったが、酒屋をしていた (お金のある) 家の男の子と友達になれ、学校を卒業しても長らく友達であった。
- 後に主席になるくらいに勉強ができたので、参観日の日に周りの親は一部しか来ない中、母にみてもらえてることが嬉しかったそうな。親にしてみても、子供の活躍が見えるので鼻が高かっただろう。
- 家庭の事情で高等教育 (男は中学校、女は女学校) をうけることはできなかったが、青年学校 (農作業しながら通える学校) に通い勉強を続けることができた。そこから師範学校に合格し、新聞に載るなどして着目された。当時戦争の時代だったこともあり、高等教育を受けた人も作業や仕事に時間を取られ、充分に勉強ができていなかったので、農業をやりながら勉強した自分と似たようなものだったので、適応できたとの事。
- 戦後の制度で、初年度の中学校の教師の有資格世代になったため、同世代の人たちは引っ張りだこで、同様に自分にもチャンスが来たこと。
- 祖父が優しい人だったので、家庭のことはほぼすべて祖母のやりたいようにできたこと。一時期は毎年のように海外に旅行ができていたのもそのお陰。
- 関東に出向し、教育研究所で学ぶチャンスをもらえたこと。
- 管理職になる試験を受けることを勧められ、合格。運よく指名してもらうこともできたこと。実際、管理職になる前から、準管理職的な立場で、周りから認められていたとの事。
長じて、自分と他人を比べることもなく (自分は自分、他人は他人)、いじめられるようなこともなく育ったとの事。一般的には、祖母は成功者の人生を送っていると思うのだけど、成功して勝ち取った部分、例えば、お茶の会を開くとか、海外に行くとか、天覧授業等の話ではなく、子供のころ家族に大切にされていると思っていた部分に幸せを感じている印象をもった。話の内容も、4割以上が、実家で家族と一緒にいたときの話、結婚した後の時間のほうが圧倒的に長いにも関わらず、世間的な成功もほとんど結婚後なのににも関わらず。
そう思うと、だれかを教える時、それが子供であろうと教え子や部下であろうと、「大切にされていると思ってもらえるか」は凄く重要だと思いました。
祖父のエピソードについてはこちら。
あいさつと約束と、祖父の教えと認知症_#402
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祖父母以外の家族についてあまり書いていないのは、まだ働いているので不用意に個人情報を出すことは控えてたいからです。すでに退職して数十年を超える祖父母の若き日のエピソードは、あえて公にしています。その結果、新しく始まることもあるかもしれないので。もちろん、祖父母以外にも、当然、両親にも大切にされてきたと思っています。父は長年安定した収入で家族を支え、母も兼業主婦を長年こなしてきました。弟が生まれてからは、弟共々両親と祖父母に大切にされたと思っています。父は努力家で、何か僕が疑問に思うことがあったら、科学だろうが歴史だろうが哲学だろうが一緒に考えてくれましたね。多分、科学者になるきっかけだったと思います。母はどんなにしんどくても僕たちの前では弱音を吐かなかったですね。家事に仕事にたくさんのことを抱えながら、時に部活の影響で早朝に起きる必要がでたときも、不平不満を見せることなく、支えてくれました。時にすれちがうこともあるのだけど、「帰ってこれる場所」として、居続けていてくれたことな凄く感謝しています。自分が同じようなことをしてあげられるかはわかりませんが、やってもらったことはちゃんと覚えています。欲張りなのでいろんなことを求めてしまうのですが、振り返れば、幸せだったのだと思います。まだまだ人生はこれからで、やることもいっぱいあるとおもいますが笑。
家族のエピソードを歌で表すと、やさしさに包まれたなら
僕が絶対に自分の安売りをしないのは、恐らく家族に大切にされたからだと思います。思えば、非行を起こしたり、ひどい相手に引っかかる恋愛をする人、破滅していく人生を進む人には、子供のころ家族から愛情を受けなかった人が多いそうです。(子供のころ大切にされなかった人が必、ずしも不幸になるとは思わないとフォローはしておきます。) 僕は「自分が価値がない人間だとは絶対に思わない」から、理不尽な環境に際したら疑問をもつことができます。自分も含め、皆が大切にされる環境が好き、誰か一人でも割を食って冷遇される環境は嫌い、仕事でも家族でも、恋愛でもです。多分、自分が親の立場で子供にしてあげるべきことは、「大切にされることがどういうことか身をもって教えること」だと思います。子供に親の希望や人生の2週目を押し付けるのは、僕は親のエゴであり、愛情だとは思いません。僕もいつか自分がみた「本物」をだれかに伝えるのでしょう。(元カノとか、それ伝えて感謝された例は既にいくつかありますが笑)
同時に、書道の先生だった祖母には、僕が独立して研究室をもったときのロゴを書いてもらっています。僕はこれからたくさん成果をあげて祖母のロゴを掲げること (もちろんズルしない前提です笑)、祖母は長く生きてそれを見届けること、お互い頑張りましょうとね。
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