仮8/13~8/17有給で実家に県境をまたいで帰省してました。2020年は新型コロナウイルスの蔓延で、外出を自粛する人や、それを推奨する行政などもある中で、私はあえて帰省しています。この1回を回避したとして、「次」会える保証がないからです。結果、良い時間を過ごせたと思います。コロナウイルスでなくても、人は死ぬ。(行きのバスは5人、帰りは10人くらいと、通常満員になる例年に比べると明らかに利用者が減ってました)
バスにて8/13。今年雷伴う雨多い。。 pic.twitter.com/rIcd19LO17
— 神庭圭佑: 科学者&個人投資家&グルメブロガー (Keisuke Kamba, Ph.D.) (@KambaKeisuke) August 31, 2020
このような考えをしている理由の一つに、認知症の祖父を亡くした経験があります。ちゃんと話すことを後回しにした結果、ちゃんと向き追おうとしたときは既に認知症が進行しており、私は後悔しました。故に、いつでも向き合える等という考えは浅はかだと思うのです。だから、家族と向き合う時間は大切だと思います。
あいさつと約束と、祖父の教えと認知症_#402
https://ofuro-wa-shifuku-no-hitotoki.blogspot.com/2019/08/blog-post_17.html
京科学者のキレイになる実験ほか_ブログ内神庭研究室
https://ofuro-wa-shifuku-no-hitotoki.blogspot.com/2019/08/blog-post_17.html
京科学者のキレイになる実験ほか_ブログ内神庭研究室
死については、私が科学者を志す原因となったもので、小学生のころからこのトピックについては考えていました。今になって初めて意識したわけではないです。
新型コロナウイルスの有無にかかわらず、事故やその他の病気等でも人は死ぬ。自殺等をする人もいる。かつて、現代程医療技術が発展していない時代では、インフルエンザ等の疫病が大流行した時期に、大勢の人が死んでいたし、老後を送れず、人間の歴史のほとんどが、若くして死亡する人のほうが大半でした。私が思うに、新型コロナウイルスが蔓延した状況だけが特別というわけではないと思う。 こちらは仕事系のお話。
近年で死を題材にした話で、「100日後に死ぬワニ」が流行ったことがありましたね。死は日常の隣にある。意識していないだけで、そういうものです。
だからと言って、何もしなくていいとか、気にしなくても良いという話ではないと思います。私は、専門家、行政、所属の方針に準します。しかし、それ以外の第三者の一般人の意向は無視します。私は一般人を裁く立場にないし、一般人に裁かせるつもりもないです。
このようなことを機に、他人を叩く愚かな輩がいますが、人を裁くのは司法や行政、ルールであり、一般人にはその立場にないはずです。人が各自の判断で人を裁き始めたら、狂人の類だと思います。人それぞれいろんな考え方があってよいと思います。正式なルールを破ったり、実害を受けない限り他人のやり方を責めるつもりはないし、他人が責めてくれば、ルール違反だと突っぱねるだけのことです。
新型コロナ対応の方針に一般人を巻き揉むべきではない_私は一部の人 (有識者、専門家、政治家等)のみで決めるべきだと思う_#640
https://ofuro-wa-shifuku-no-hitotoki.blogspot.com/2020/07/640.html
京科学者のキレイになる実験ほか_ブログ内神庭研究室
https://ofuro-wa-shifuku-no-hitotoki.blogspot.com/2020/07/640.html
京科学者のキレイになる実験ほか_ブログ内神庭研究室
0 件のコメント:
コメントを投稿