2019年9月8日日曜日

私の暗黒時代1:中学~高校編。人と関わるのを辞めた理由と、科学者を目指した理由。_#428

キャラチェンについての話。たぶん、大学院以降、大学時代、中学高校、小学校以前と僕に関わった時期で僕の印象が大きく変わっています。僕自身の一番酷い人間だった時代の話で、あまり言いたくないことですが、過去も受け入れるという意味で、あえて書きます。暗黒時代と今表現しているということは、現在はそうではないということです。どうやってそこから僕が脱したのか、それを伝えたい奴がいるので書きます。

これを伝えたいやつはこいつ。
愚痴:0(全部相手に合わせる)と100(全部自分の思い通りにする)の人間関係をやめてくれ_その間を埋めて分かり合うのがコミュニケーションだ_#298
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京科学者のキレイになる実験ほか_ブログ内神庭研究室
僕の暗黒時代の始まり、死を知り、努力するのを諦めた
 「死」という存在を意識したことが僕の暗黒時代の始まりだと思います。最初に死を意識したのは小学生の時。当時の友達がふと「100年後には俺たちみんな死んでるよな」と口にしたとき。「死ねばどうなるだろう?」と考えたのが始まり。「寝ているとき意識がない状態を考えて、永遠に何もない」という状態を想像し、底知れない恐怖に胸を突き抜かれた想いでした。それ以来、死を考える度に、その恐怖が頭をよぎるようになりました。
 「死ねばどうなるか?」、そういう疑問は父がよく聞いてくれていましたよ。「心はどこにあるの?脳、心臓、それとも?」「死ねばどこにいくの?」「幽霊なるものが存在したらどういう状態?ガス状生命体?意識はあるの?」「天国や地獄、前世や来世はあるの?」「自分を複製できるの?その時分は自分と同じ、それとも違う人?」「自分の意識だけ永遠に残すことはできないの?」。小学生の時の僕の答えは、実在しないものについては答えを出せないけど、「この世に存在するものには全て寿命がある。人を含む生物全て、生物がいる星、宇宙、人を構成する原子ですらも、いつかは終わりを迎える。終わりを迎える運命に逆らうことができない」と思ったのです。その時僕は、「どんなに頑張っても死ねば何も残らない、だから努力しても意味はない」と思ったのです。そして、努力することを辞めた。
成長著しい小学生~中学生の間にそんなこと考えたら、普通は周りに置いて行かれますね。例えば小学生の時の学級文集の将来の夢。皆明るい未来を書いている。僕の答えは「十年後:今のまま、二十年後:無職、五十年後:遊ぶ、何歳まで生きたい?:?歳 (本音は死にたくない)」。まさにNEET笑。NEETという言葉が生まれたのが1999年、1986+12=1998、なんとNEETができるより早くそうなりたいと思った小学生笑。当時僕を動物に例えると、「なまけもの」という印象。見た目は、所謂「ダメ王子」みたいな印象かな笑
 努力に意味を見出せない次は、人を関わる意味を見出せなくなりました。「死ねばなにも残らない。どうせ死に無になる運命なら何もする意味を見出せない」等といって、わかったつもりで世界を達観した気でいた昔の僕。だから、人の気持ちも、わかったようなつもりでいた。話さなくても、言動からくみ取れるのだから問題ない、と思っていたわけです。そして、いまはそうではないことが良く分かっています。(科学者になった未来の自分として:知識の全てを得た訳でも無いのに、まるで神にでもなったかの如く、一方的に決めつけるのは、偏見と先入観でしかない、と。実際見た訳でもないのにね)。気持ちが理解できないとか、コミュニケーションが出来ないのではなく、頭の回転の速さや分析力が災いして、逆に見えすぎる。見たくないものまで見てしまう (これは止めることができません。ゲーム等である常に発動する能力的なやつ。ある意味呪いみたいなものですね笑。これを使いこなすのに25年以上かかりました笑。後にここから、意識してやっていることは努力による蓄積、無意識でやっていることが才能という気づきを得て、人の能力を吸収するスキルになるのですが笑。)周りと心を次第にかわせなくなる日々の苦しさ、次第に友達は離れていき、時に裏切られ、見捨てられていく (相手に避けられていたか、こちらから避けていたのかは、今ではどうでもいいことです。既に過去であり、怨恨はありません。当時の人と今会えば、新しい人間関係をつくりなおす的な態度で臨みます。お互いに、過去と同じではないはずですからね。)人と心をかわせなくなった僕がすがったのはゲーム。上を目指すわけでもなく、ただ現実から逃げるためにそこに向かっていたのでしょう。そんな自分を受け入れるのが嫌で、今の自分でいたくなかった。当時は僕は自分が嫌いでした (今は自分が好きです)。だけど「死の恐怖をしっているせい」で逃げ出す (死ぬ) ことが何よりも怖かった。そんなひどい状態でさえ、永遠に今が続いてほしい、進歩はいらないと思った。その苦渋の二択の中で、擦り切れるような思いで生きていました。ちなみに、精神的にひどい状態だった中学生の僕でしたが、後に小学生の夢のようにNEETになることはなく、自殺やそれに近いことを考えることはありませんでした。
 歌で表すと「東京テディベア」、自殺の歌的な印象。個人的には原曲よりあるふぁきゅんさんによるカバーのほうが好きなのでこちらを張ります。
科学者不可能に抗う可能性
 ここでクソ野郎を変える運命的な出来事が起こります。たまたまテレビでやっていた、とある科学番組の特集、画面に映る科学者は「死に抗えるのではないか」「不老不死を目指す」といっていた。最初は「何コイツ、馬鹿じゃねぇの、そんなの無理に決まってるだろ」と思いました。しかし、思い返してみると、「今では電気があり、電話で遠くの人と会話し、テレビでは直接見れない映像が見えた。外では車が走り、飛行機で人は空に行き、人類は宇宙にすら行っている。全部、昔は誰もが無理だと思っていたことだ。それを実現し、当たり前にした人達がいて、脈々と続く人類の歴史の中で不可能の壁を越えてきたからこそ、今がある」ということに気づき、ハッとしました。僕はその科学者の背中に魅せられた。彼らのように、いつか僕もこの手で不可能を超えてやる、と心に決め、科学者になることを志します。
 死ねは何も残らないのだとしたら、恥をかこうが馬鹿を見ても残らないともいえると思います。その上で守るべき名誉はないということでもあると思いました。「一度しかない人生、どうせなら見れる限り大きいバカな夢を追いかけてみよう」と思いました。僕で言うそれは、「絶対に越えられないと思っていたこと=死という現象 (生命に限らず、原子や宇宙などの終わりも含め、その全て)を超えること」。いけ好かないクソ野郎をぶん殴ってやる、という感覚ですね笑。いきなりはこの相手は倒せない。まずは人間の寿命を超えなきゃいかんね、ということでバイオ系を選択。当然僕一人の力では勝てないと思うし、地球上のほとんどすべての人を味方につけるくらいしても勝てるかはわからないレベルの化け物だから、足りない能力は他の人と強力して補おうと思った。そこで意味がないと思っていたコミュニケーションに意味を見出し、人を理解することが大切だと思うようになりました。力を合わせてでかい敵を倒せ!ゲームの話で言えば、「他のプレイヤーとの与えられたルール内の競争」ではなく、「ゲームマスターに挑む」のがロマンだと思うのです。僕にしてみれば、「死」という存在がゲームマスターなのかな、と。故に人間の中で自分が序列何番目か考えるのはどうでもよくなりました。ONE PIECEで言うところの「海賊王に俺はなる」宣言くらいぶっ飛んでると思いますが、思いついたからには自分でやるほうが面白いと思います笑
 科学者という職業、仕事をするためには博士号という資格が必要と知る。じゃあとりあえず大学入ろうか、ということで勉強をやり始めます。これが中二の終わりくらい。この出会いと心境の変化が、暗黒時代を終わらせる一つ目のきっかけです。
 曲で表すと、dreamのGet Overでしょうか。仲間と戯れ、それなりでいても物足りなさを感じてしまう。諦めきれるなら最初から興味持たない。だから今なら夢をこの手で叶えてみせるよ、等、当時の気持ちにドンピシャな部分がたくさん。
失った時間の代償
 決意を新たにした、だけど、それまで何もやってない訳だから、苦労します。勉強はとりあえず適当にやっても並以上ではありましたが(当時は努力のやり方を知りませんでしたね。ある意味、才能任せのごり押しのやり方しかできてなかったと思います笑。強い部分を振り回すだけで、弱い部分はすぐあきらめるとか、良くなるにはどうするか的な「方向」を考えることができてませんでした。故に大したことなかったのでしょう。)、いかんせん人と関わることをしなかった時間が長すぎた。いざ話そうと思っても、何を話していいかわからなかった。喋ろうとしても躊躇して声がだせない状態、挨拶すらろくにできなかった当時の僕はやっぱり孤立します。この頃は、周りにどう思われるとか、そうするとどうなるか必要以上に気にしてた時期ですね (つまり、そういうの見えてないわけではないということです)。たまたま当時ボート部に所属していて (経験者の多いスポーツでは勝負にならないと思ったので、やってる人が少ないことをやってみた。実力は下の下でまるでだめではあったが、中高生の多感な時期なので、あまりにもできない人でいるのは嫌だったからでしょうか。)、体が大きくなっていて、ちょっかい出しそうな人をたまたま吹っ飛ばしたりなどの影響で、嫌がらせの類は受けることはあまりなかったけど、「いてもいなくても変わらない存在」的な感じだったと思います。
あいさつと約束と、祖父の教えと認知症_#402
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京科学者のキレイになる実験ほか_ブログ内神庭研究室
 そして、大学進学後、何か認知された、的な感じで大学時代アメフト部に入りました。アメフト部では大した活躍はできませんでしたが、「人としての性根を叩き直してもらう経験」「敗北を知る経験」をしました。そして、やり方を改めます。それが暗黒時代を終わらせる二つ目のきっかけになりました。続きの大学時代からの話は後の記事にて。
 音楽で表すと、インビジブル。透明人間の話。いないのが当たり前でしたね、大嫌いな僕を覚えてますか的な。決意を改にしても、人は急には変われない。だとしても、進んでみたからこそ初めてみえたものもあったということです。半身でよけたサラリーマン的なポジションでアメフト部にぶちあたった的なね笑。
番外編。当時の僕の恋愛はこんな感じ。片思いで終わり笑。ちなみに、その後も含めると、デビューは遅い方でしたが恋愛 (両想いの純愛含む)、とその後一通りやることはしっかりやってます笑
 歌で表すと、天ノ弱。「進む君と止まった僕の 縮まらない隙を何で埋めよう?まだ素直に言葉に出来ない僕は天性の弱虫さ」当時の僕はこんな印象笑。合唱版をどうぞ。
個人的には、やや低めの男声ボーカルでロック調で演奏する感じが好み。10曲くらい聞いた中では、天月さんバージョンが良い感じかな。
大切にされた過去を持つのに、何をどう間違えたのでしょうね笑。幼少期を歌で表すと、「やさにしさに包まれたなら」。
幸せな人生の鍵は子供のころに大切にされた記憶?93年生きた成功者の祖母の話から_#425
https://ofuro-wa-shifuku-no-hitotoki.blogspot.com/2019/08/93425.html
京科学者のキレイになる実験ほか_ブログ内神庭研究室
これを伝えたいやつはこいつ。
愚痴:0(全部相手に合わせる)と100(全部自分の思い通りにする)の人間関係をやめてくれ_その間を埋めて分かり合うのがコミュニケーションだ_#298
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京科学者のキレイになる実験ほか_ブログ内神庭研究室
 こうやって書いた文章を自分で読んでみて、僕は理屈っぽいというより、感性が豊かで感受性が強い人だと思います。そして、意外と感情的。こういう部分は深い部分までかかわった人にはみえるでしょうけどね笑。才能、という意味では、僕の場合は特化型より総合力で勝負するタイプだと思います。例えば、「人と違うことを苦にしない」+「過去の自分のエピソードを客観的に振り返る」+「自分も含め、人の気持ちを理解し外部に伝える」+「曲を音として解釈して世界観を理解する」+「言葉や文字で表現する」+「わざと論理を飛躍させて考えてから元に戻す考え方」+「整理し並べ替える」=「複数アーティストの曲の世界観で自分の人生の中の心の動きを表現する」みたいな合わせ技とかね。才能なんて分からないでしょ笑!?「全知全能になったわけでもないのに、知ったつもりで決めつけてないか?」まだ使ったことのない使い方を見つけてみるのも楽しいですよ笑
 見てほしい部部分は、「僕は決して人のせいにしたり、自分を責めたりしていない事」。振り返ってみれば、誰かのせいに思っていた部分も大多数は自分の心の動きで説明がついてしまうことが多いと思います。共感であったり、反発であったり、嬉しさであったり、そこから勝手に傷ついたり、勝手につまずいている場合がほとんどだと思います (これは僕が自分の実体験をもとに、他の人を相手にある意味カウンセラー的ポジションを何度もやった経験から)。刑事事件になるような事例を除き、不慮の事故や病気も含めて、誰かを責めても仕方がないのでしょう。後悔して過去を振り返っても、過去は変えられない。変えるなら未来、そうしたければ今行動するということが大事だと思います。
 かつての僕を見るような目で、今の僕を見る人は一人としていないです。「人は変われる」だけど、「人が変わるには心の部分が変わる必要がある」と思う。より詳しく言うと「変わるためには人生を変えるくらい衝撃的な出会いと、その後の努力(行動)が必要だ」と思います。(モーツlァルトの言う、旅の重要性はこういうことでしょうか。新しい発想を得るとか、自分にはない何かに出会うためには、引きこもって自分の内側と対話するのではなく、外に出て自分ではない何かと出会うことをきっかけに、今までと異なる自分の感性を喚起し、それを自分の内側と対話して拾い上げる的な。)元ダメ人間 (中学~大学程度) から、ダメとは言われない人になった立場として、断言します。

結果、長じて前進型のなまけものになれたと思います笑

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