2018年6月29日金曜日

脱、敗者のメンタリティ@次、勝つために僕が負けて捨ててきた考えをあげてみる_#112

勝者のメンタリティ、そんなのなくても、自分がダメだったときの経験が生かせます笑。
マイナスにマイナスをかけるとプラスになるという発想ですね笑
僕が過去にやってて、今やらないようにしているダメな行動を書いてみます。


根拠のない自信?僕はたくさん勝った(成功した)というよりは、たくさん負けて(失敗して)きたと思ってます。?興味本位で、僕が捨ててきたもの(中には一度捨ててまた拾ったもの)を眺めてみます笑
今僕が、↓ができてなかった過去の僕と競争したらだいたい何しても勝てると思う。
過去の僕と同様の失敗をしている相手と競争したら、
余程へまでもしない限りこの相手には勝てると思うかも。だからこそ同じような負け方はしなように対策していることが、周りには自身に見えるんでしょうかね笑
(最も、自信と言うのは根拠がないから自信なんだと思いますが笑)


価値が高い/低い人間はいないし、努力するのに資格はいらないと思う
私は価値がない人間だ、とか職業に貴賤があるとか思う人、いると思います。
じゃあ逆に聞きたい、価値がある人間ってどんな人
仕事やスポーツ等では、パフォーマンスのレベルが高い人だったり、
収益を出せる人、人を集められる人が優れた人と言われる。
あるいは、異性にモテたり、お金や地位があれば価値のある人間になるのでしょうか?
僕は、どれも違うと思います。↑の例は戦力としてみれば優秀、ということ。
人として価値があるかどうかは、全く別の話だと思います。
戦力として優秀なことと、人として価値があることを一緒くたにしてはいけないと思う。

例えば、障碍者施設殺傷事件に対する太田光氏のコメント
意思疎通の困難な知的障害を持つ方を犯人は価値のない人間と決めつけ虐殺した事件。
太田氏は、知的障害の方々は犯人よりはるかに表現ができている、と述べられています。

また、清掃員を罵った就活生を、会社の社長が一喝した話。
どんな仕事であれ、給料が生じているということは必要とされている事だ、
と社長は述べられています。

一方で、優秀な家柄、能力、地位等がある人がいたとして、
それだけの理由でその人を敬うかと言われたら、僕は絶対しない。
その人をみて、その人の言動が素晴らしい等なら評価しますが、
自分は価値がある人間と、立場に胡坐をかいて周りに横暴な態度を取れば、
僕はその人間とは距離をとると思います。
あるいは、私に頭を下げたら手下にしてあげてもいいよ、という態度でこられたら、
こっちからお断りです。友達にはなるけど、僕は取り巻きをやる気はありません。
努力をやるとしたら、それは自分が必要だと思うから、やりたいから。
自分が価値が高い/低いかどうかなんて関係ないと思うし、気にしてもしょうがない。


できないのはたいていやってないから。いいからやれって。
負けるやつがなぜ負けるのか、純粋にやってない、というのが一番多いと僕は思います。
人間よりゴリラのほうが力が強く、ゴリラより人間のほうが賢い、こういうのは才能。
確かにそれで差がつくのは事実だけれども、
能力以前に、やったことがないことはできなくてもしょうがないと思います。
もし才能や能力があれば、↓↓、いきなりできると思いますか?
  • 初めてみる文字を理解できる(古代文字とか専門用語等含め)?
  • 初めて水に入ったとき、競泳選手のように泳げるか?
  • 料理を初めてつくったとき、プロの料理人顔負けのフルコースが出せるか?
ないですよね、普通は(人間と人間を比べた場合)笑。
能力が強い、あるいはできるというのは、元々の才能や能力があるから、よりも
やったこと(経験)があるから、というのが多いと僕は思います。
ある程度経験を積めば能力や才能で差がつくけど、
最初は単純に、やったことあるかどうか、それだけのことだと思います。
人それぞれ別々の人生を送っているので、経験したことは違うでしょう。
出会ってきた人も同じではないと思います。
学校や会社等のコミュニティでで似たような過程に進むから勘違いしてる印象。
人生は試験やテストとは全く違うと認識するべきだと思います。
周りと同じタイミングでスタート/ゴールする必要がそもそもないんですよ。
例えばこんな感じ
  • 能力が低い/高いからやらなくていいや、という思い込み(諦め/自惚れ)。周りと比べて何番目かは大した問題じゃない。周りとの比較、じゃなくて、自分がどうしたいか
  • やるかどうか尻込みしてる間に、他の人が先に経験を積んだだけ、というのは多い。自分がやってない間に周りがやっていたから差がついただけだったとしても、能力や才能のせいにして思考停止しているとうまくならない。とりあえずやってれば、いつの間にかうまいほうにいたりする。というか、トップを取りに行くわけじゃないなら、並くらいにはすぐなれると思います(なぜなら、周りは努力しないから)。
  • できない理由を考えない(それじゃあ行動につながらない)。うまくできる可能性を考える。どうやったら手に入るか考えてみるのは、誰がやっても良いはずです。
  • 辛い苦しい等の理由で、快楽等に溺れるのは違うと思う(その結果やらなくてよくなることはない)。遊ぶのはいいけど、遊ばれてしまってはダメだと思う。
ゲーム等で初期能力のままレベルをあげてなきゃ弱くて当然、ということだと思います。
レベルを上げる対象とタイミングが、人それぞれ違っていいと思います。


本気でやったこと、ある?
意外と盲点。やったつもり、と本当にやってるかは違うと思います。
  • なんでもいいから、本気で勝ちにいったことはあるか?やれることはやっただろうか?まわりから「勝つ気あるの?」と疑問に思われてるうちは、本気になれてないんじゃないでしょうか。
  • 失うことを恐れて保身に走るあまり、勝算の高いと思うことを力をセーブしてやるのに終始すると、勝ちにきてる人に力負けする(小さくまとまりがち)
  • 時間や資源を何か一つに全投入することと、本気は別のことだと思います。他をしないことと、スペシャリストになることは違うと思います。というのは、勝手に努力しなくていい線引きを決めてしまってるから、むしろ弱体化するのでは?専念を強いるのは奴隷労働のような印象を僕は受けます。一見関係ないものからでも吸収する姿勢のほうが、僕には本気に見えます。
深イイ話で元ボクシング世界チャンピオンの井岡弘樹氏のコメントによると、
チャンピオンで世界を取れる人とそうでない人の違いはほんの少しの差だそうです。
練習でもう無理、もう出来ないと諦め、そこで手を抜いた人と手を抜かずやりきった人、
その小さな差が毎日のように積もり積もって、埋められない差になるとの事です。

また、プロとして仕事(生活のため)でやるのと趣味でやることは違うと僕は思います。
好きを仕事にするということに関しては、僕は否定的です。
もしそれが、嫌いかことをしたくないから、という理由なら、なおさらです。
仕事でやるということは、必要なら嫌いなことでもやる覚悟が強いられると思います。
本気でやってる人は人生をかけて努力してきます。それと渡り合う人との競争です。
趣味なら、楽しいところだけをやればいいと思うのだけど、
嫌なことがあったから、すぐに努力するのをやめていたら成長するでしょうか?
例え趣味であっても、短い時間で集中して本気になることはできます。
好きだから、楽しいから。それは大切なことだと思いますが、そこで止まると、
本気経験者からみると、チャラく、軽く、中途半端に見えます。
時間があるからと、タラタラやると成長は遅いと思う。差がつくとこだと思う。


努力は方向、だめなところは直さない。良さを生かして、どこに行くかを自分できめる。
ドツボにはまる失敗がこれ。
人生はテストとは違い正解がない。ダメなところを直しても良くならないんですよ。
ダメだと思っている部分を修正した結果、別の部分がダメになることが多いです。
それを繰り返すと自分が嫌になり、努力するのが億劫になる、負のスパイラル。
これでは堂々巡りです。その間に周りに引き離されたら、もっとショックでしょう。
ただ、どんな凄い人にも欠点はあるもの。欠点がないのが良いとは限らないですよ。
全体として穴がなくても、長所(加点要素)がないと勝てません。

だめなことをなおす?逆です。
全体としては失敗であったとしても、うまくいっている部分を探すんです。
うまくいっている部分の良さを殺さずに、どこを改善すれば全体が良くなるか考える
こちらがうまい努力のやり方だと思います。

やっていることは一見同じですが、決定的な違いがあります。
それは、方向性
ダメなことをなおしても方向性はないけど、後者には方向性がある。
方向性がないと、どこにも行きつかないと思います。
別の言い方をすると、前者は行き当たりばったり、後者は考えてる、ともとれます。
そのとき大事なのは、どこに行きたいか、どうなりたいかを自分で考えて、自分でその責任を負うことだと思います。決断を他人に丸投げしたり、何事も人のせいにして自分が改善する努力を怠っていれば、成長しないと思います。
↓は悪い例
  • 決断を誰かに全部丸投げ。周りが努力してる/してないから、自分もそうする。上司、先輩、友達、家族等がそういうから、自分もそうするor前例に従う、等。根拠をもってそうしてる場合は別ですが、特に周りを疑うことなくそうしているなら、それは責任転換、考えてない証拠、つまり自分で決断することを放棄していると思います。間違えたとき、責任や痛みも含めて自分事として受け止めることが必要だと思います。
  • なんでも受け入れるのも違うと思います。憧れの人、恋人、親友、家族、理解者等がやることに疑いをもたず追従するのは違うと僕は思うのです。どんな人でも間違えると思います。間違えたとき、一緒になって道を踏み外すのではなく、フォローしてあげるほうが良いと僕は思いますし、僕ならそうしてほしいと思います。
  • 他人と比較してもしょうがない。やりたいことも、これまでやってきたことも人それぞれ違います。人生は学校のテストではありません。同じスタートラインに立って、同じタイミングで同じゴールを目指して走ることがそもそもないのだと僕は思います。自分の目指す場所は、自分で決断するべきだと僕は思います。対抗意識で他人の背中を追っても、引き離されるだけだと思います。全体の中で序列〇〇番の能力だから見込みがある、のではなく、自分の持っている能力や経験でどうやって勝ちにいくか考えるのだと思います。
  • 成長は過去の同じ人と比較する。他人と比べて良い悪いではなく、その人の中で良い悪いをみればよいと思います。人をほめるときも、昔より良くなったとか魅力的になったとか、ほめる相手の過去と比較するとよいと僕は思います。(あえて他人と比較すると、なんでその相手を引用したか勘ぐったり、その相手と自分を比較してしまったりで、お勧めしません)

ハッタリでもいいから、周りに勝ちそうな雰囲気を見せる。
スポーツで味方にパスを出すとき、誰かに仕事を任せる時、
上手くやってくれそうな人には安心して託せるけど、絶対外しそうな人に託すのは不安、
と思うのは自然なことだと思います。
表情や言動で、周りにダメな印象を持たせないのも大事だと思います。
なぜがと言うと、自分だけでは機会が得られないから。
能力を使う場所がないと、強くても無力だと思います。
  • 負けそうな顔をしない。笑いましょう。男女ともに笑顔が多いほうがモテるそうですよ(他の条件が同等の場合)。例えば就活写真、モデルさんと一般の方を写真だけで評価すると、モデルさんの方が評価が高い傾向があるとの事。それは要旨がいいことが評価されているというより、自分に自信があることが写真から伝わるから、との事。
  • 失敗を次に引きずらない。失敗しても、たいていの場合は不慮の事故や病気でもない限り、生きてる限りチャンスがやってきます。例え失敗しても、次を成功しに行くよう頭を切り替えるほうが良いと思います。いつまでも反省会やるんじゃなくて、次の解決策を出すほうが良いと思います。(ただし、相手に迷惑をかけた場合は、相手に申し訳なかったと、先に謝るのがマナーだと僕は思います。でなければ、人として軽く見られてる印象をもち、余計に腹が立ちます)
  • 機会をもらえるまで待たない。ほしいことは言葉で相手に伝えたほうがいいことって多いと思います。待ってたら機会をくれるかと言うと、そんなことはないです。相手にあなたの考えていることは半分もわからないでしょうし、逆もまたしかりだと思います。本当はどうしたいのか的な、深い部分も伝えたほうが相手もそのつもりでサポートできるから、やりやすいと思います。
  • うまくいってるから、うまくいってそうな言動をするわけじゃない。うまくいってなくても、うまくいったときに自分ならこうするだろ、という自分をイメージして演じる。こういうハッタリはすごく大事。自分に回ってくるチャンスの数が変わってくるから。


脱完璧主義、脱管理!全部自分で抱えこまない。
人間の時間は一日24時間、どんなに能力があってもできるのは目の前のことだけ。
というのは、能力等に関わらずみな平等だと思います。
任せられるものは他人に任せてしまったほうが進むと思います。

  • 能力が高いばかりに、周りが低く見えるから全部自分が管理しなきゃと思うあまり、本来の実力を出せず、一人分の仕事もできなくなる。(できる人がやりがち)
  • できる人がいるからと、全部その人に丸投げするのも良くないと思います。任せると丸投げは違うと思います。任せる場合は、どうしたいかのイメージを両者で共有するべきだと思います。どちらかが主導権をもち、もう一方がそれを実行するだけの関係は、協力しているのではなく、駒として使っている、と思います。僕なら駒にされるのは嫌ですね。主導権はある程度もっておきたいのです。
  • 上が下を管理するのが当たり前と思って、口を挟まないのも違うと思います。手伝いましょうか、等といってもいいと思います。誰かのプライドを守るために苦しい思いを強いるのは違うと僕は思います。
  • 失敗していることを認められず(恥ずかしい、情けない等と否定的に思う)、周りに関わるのがどんどん億劫になり、自分の殻に引きこもる。良くないです。周りは失敗なんてたいして見てないです。周りの目を気にしすぎるのは良くないと思います。

まとめ
自分がどうしたいかをしっかり持って、
自分がどうしたら強いかしっかり把握した上でその間合いをキープして事に臨み、
自分がこうしたら失敗する道を通らない。
局所戦(人生の個々の場面)で負けても大局(大切な局面)でかてるなら別にいと僕は思います。思うに、局所戦まで全部勝ちにいこうとするやつが多すぎるな、と。
終わりよければすべてよし、と結べるように、経験全て活用する印象でしょうか。

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