2021年1月2日土曜日

人を裁く立場にない人間の「善意の押し付け」を「身勝手」という~「正義」と「身勝手」の区別は現代のリテラシー_#734

東日本大震災、コロナショック等の困難な状況下で、「他人を攻撃する第三者」が名に付くような印象を受けます。インターネットの発展により、情報が入手しやすくなり、様々な人とリアルタイムでやり取りすることが可能になったことで、いつにもまして他人を攻撃する案件が目に付くような印象を受けます。ここで大切なのは「正義」といえるものとそうでないものの「見分けがつくか」ということです。

 大前提として、「一般人に一般人を裁く権限」はありません。そこを誤解し、自分と考え方が異なるからと、第三者を攻撃してしまっては、場合によっては犯罪となります。たとえばあなたがA宗教の信者で、B宗教のBさんがいたとしましょう。Bさんが「B宗教に反するお前は悪だ」といってあなたを攻撃したら、犯罪ですよね。B宗教ではそれが正義がもしれないけど、それぞれが属する国や団体には「法律=明文化されたルール」を共有しているわけです。この場合、あなたはどんなにB宗教のルールをやぶっても犯罪にはなりませんが、法律を破れば犯罪となります。


 このように、正義は「個人がそれぞれもつ宗教」のようなものと考えるとわかりやすいと思います。自分が信じた考え方に即したものが正義であり、反しているものが悪であるということです。すなわち、人それぞれ各々が別々の宗教を選ぶように、十人十色で考え方が違います。すると、「各々が異なる正義を掲げる」ということです。違う正義を掲げれば対立します。A宗教とB宗教がそれぞれ弾圧し合えば、対立します。共存するためには、「よぼどのこと」がない限り、違いを受け入れることが大切です。自分とは異なる考え方をしている人に対して、「好きとか嫌い、合うとか合わない等」と考えることは良いのです。感想を持つことは何も間違っていません。「自分の感想を他人に押し付ける」ことが間違っていると指摘しています。宗教で言えばB教をちゃんと聞いたうえで共感し、A教からB教に改宗するのはOKで、B教について説明もなく納得もさせぬまま、「間違っているから」等と強引にA教をB教にしてしまうようなやり方はダメと言うことです。この宗教の例を、「正義」で押し付けてしまっている人間の多いのはなんでだろうな、と疑問に思うわけです。要するに、「よほどのことがない限り」自分の正義と反することをやっている人間を受け入れろ、と言うことです。


 一方で、なんでもかんでも無抵抗で周りを受け入れてしまうと、搾取されてしまうので、「よどほのこと」があった場合は、何の権限や立場がなくても、他人を攻撃、反撃、抵抗せざるをえないこともあります。その「よほどのこと」が個人の気分など、一時の感情で決まっては困るので、「法律=明文化されたルール」があります。法律違反~犯罪に関わる案件をされた場合は、警察に通報したり、裁判をする等、国家 (組織) の権力をつかって、(当事者間ではない第三者を介して) 他人を裁く、というのが「人を裁く」際の現代のスタンスでしょうか。人を裁く立場にない人間が第三者を裁くことを「身勝手」と言います。身勝手は正義ではないので、拒否していいんです。特に真面目な人、拒否してくれ!

少し崩して書くと==
 人を裁く立場にない人間の「善意の押し付け」を「身勝手」って言うんだよ。「正義」と「身勝手」の区別は現代のリテラシーだよ。自分(達)を守るためにも、周りと必要以上に衝突しないためにも。そこを間違えている奴を「バカ」というわけ。

○「指摘」することによって、こういう考えもあるよと注意喚起する
×「矯正」することによって、他人の行動を変えさせる 

外野は「指摘」はOKで「矯正」はやりすぎ (場合によっては犯罪、他県ナンバー狩りとかは犯罪よ)。
虐待みたく、犯罪に直面している場合は外野でも干渉する案件。コロナはに関わる案系は違う。第三者が第三者に権限を行使しても良い等というルールはないぞ。
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  問題は、この正義を隠れ蓑にして他人を攻撃し、憂さ晴らしをしたり、悦に浸っている馬鹿がいることです。「自分の一意見をさも公然の正義のように主張し」他人を平然と攻撃してしまう輩がいます。時に自殺者を出すほどに。。例えば 、いじめ、パワハラ、DV、毒親、嫁姑問題とかでもよく見られる構図ですね。新型コロナや震災ではなくてもあることです。
  • しつけ/指導と称し暴力/罵倒 (事実上の調教・洗脳)
  • 誹謗中傷・マウンティング
  • 悪意ある権力の濫用・(実力主義によらない) 派閥争い
こういうのやる側は、良かれと思って、あるいは、あなたのため、などと口先では言ってくることも多いです。真面目共へ、「それは正義ではなく身勝手だと気づけ」と。そして、無抵抗主義ではなく、「どこまでは受け入れるか」の線引きを自分で持つことが現代では大切だと思うのです。身勝手に他人を攻撃しないことも大切ですが、その一方で「身勝手な攻撃を受けた場合は、第三者 (国など) を活用してその人たちを排除する」こともリテラシーとして知っておく必要があると思うのです。特に、真面目で、イジメの対象になるような人や、周りより風当たりが強くなる人 (恋愛では、メンヘラやダメな人を引き寄せる傾向がある人もこの類)。


 というのは身勝手さんは一方的な意見の押し付けをしてくる場合がほどんどで、話し合いは通じず、相手が気が済むまで延々と攻撃してきたりする。無抵抗でやり過ごせば、とりあえず謝っておけばやり過ごせるか、というとそんなことはない場合がほどんど(このやりすごし方は両方が話が通じる人同士、真面目どうしの場合のみ成立する)。多くの場合は(真面目な人が)これでやられている印象です。このルートきっておけば攻撃はされにくくなります。真面目ではない奴がどういう行動をするか、ということも時には考慮しておいた方が良いです。世の中は紳士の考え方で上手くいく部分と、逆に上手くいかなくなる部分があり、使い分けることも必要だと思います。


 私は「正義を隠れ蓑にして他人から搾取する」連中が心の底から嫌いです。私単独なら、攻撃されれば手にかけてしまえば済む話ですが、そういう連中が謳歌できないように、こういう連中のせいで真面目な人が搾取され苦しまなくても済むように、「バカの狩り方」もリテラシーとして紹介していいくつもりです。
正義はひとつではない、と考えておくほうが物事は上手くいくことが多いです。打算で言えば、仲間割れや裏切り工作を仕掛けるときは、私ならここを攻めますね笑。
 

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