骨折、歩けなくなり緊急外来へ。。
2020年1月2日、夜にジョギングしていると、ふとちょっとした、一見危なくなさそうな段差に躓き、バランスを崩した状態で左足のつま先で着地。その後、足に違和感があり、左足で着地すると力が入らず、最初は走れたけど徐々に走れなくなり、だんだん歩くのも大変になっていきました。その日の晩御飯後から、痛みで足を地面につくことができなくなり、移動は四つん這いで這うとか、片足飛び、物をつたって動くくらいしかできなくなりました。ジョギングから帰ったときは足に大きな腫れがあり、腫れは時間が経つごとに徐々に大きくなり、最初に痛かったのは左足の左側のみでしたが、右側もいたくなり、炒めた部分の周りにもまたがるおおきな腫れができました。
さすがにこれではまずいということで、家族の車で緊急外来に連れて行ってもらい、レントゲンをとると、左足の第五中足骨に骨折が発見されました。(手術をしない) 保存療法だと治療期間が標準的には6週間くらいかかるとの事で、緊急手術をするほどには重篤でなないようなので、ここではシーネ固定のみをして、治療は京都に帰ってから行うこととしました。というのも、1か月近く仕事を休むわけにはいかないので、治療が終わるまで地元に留まることは現実的にはできないので、複数の病院でそれぞれ中途半端に診てもらうより、治療は京都の担当医の方針で行う方が現実的と考え、引き継ぎの準備を一通り済ませました。何気に、私は骨折は今回が初めてです笑
第5中足骨骨折・いわゆる下駄履き骨折と疲労骨折|一般社団法人 日本骨折治療学会 骨折の解説
[僕の家族にまつわる話まとめ]
https://ofuro-wa-shifuku-no-hitotoki.blogspot.com/2018/12/blog-post_31.html
京科学者のキレイになる実験ほか_ブログ内神庭研究室
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小さな骨が1本折れたくらいで歩けなくなるくらいには人 (少なくとも非アスリートや軍人などの特別な例を除いて) は動けなくなるくらいには脆いんだな、と実感します。これって、ちょっとしたけがで体が動かせなくなったとき、病院等にいくまでのつなぎとしてのケアがあっていいよな、と思うのですよね。初めから障害を持っていれば、その障害を考慮した環境を整えることができるけど、いきなり体の一部が動かせなくなると、これまで通りの日常生活を送るのは凄く大変に思います。
私も、なにはともあれ、日常に戻らなければなりません。骨折等、入院まではしなくていい怪我ではあっても、直前まで健常者だった人が、が介助なしで日常の生活を送るにはバリアがおおいよな、と思いました。健常者の一人暮らしの生活特に、健常者として一通り当たり前のことができることが前提の生活であり、簡単な骨折程度のちょっとしたケガ (小さな骨が1本折れた程度で立てなくなることも珍しくない) ですら、相当困ったことになると思います。近所に買い物にいくようなちょっとしたお散歩の難易度をフルマラソンくらいに引き上げるような印象でしょうか。
例えば、元々が健常者だとして、骨折して足が踏ん張れず、立てない状態になったとしましょう。現実問題、その状態での現実的な移動方法は、何かにつかまって立つ、片足飛び、這う、くらいしかないでしょう。とても、長距離の移動は無理ですね。家の外に出るだけですら、大変なことも充分あるでしょう。せめて道路まで行けば、タクシーに乗れるかもしれないけど、そもそもそこまでたどり着かないかもしれない。車いすや松葉杖を個人で常備しているところはすくないので、トイレや、うちの外にでることが大変だ。通勤などで、健康な体なら1キロくらい歩いて通勤するのは苦にならないけど、松葉杖で1キロあるくのは流石に大変だ。生きるためには食べることやごみを捨てる等も必要だけど、それって健全な両手と両足があっての話。必要最低限の動きをするのにも、ある程度外に出なければならない。今まで通りを負傷した体でやるのは物凄く大変だ。そもそも家族であっても、若いメンバーが負傷することは想定していないでしょう。例えば、夫婦と子供二人の家族で、夫婦のうちどちらか一方が怪我で一時的に日常生活が困難になるケース。保険をかければ、金銭的な部分は対処できるけど、生活の主体は本人がやるしかないので、車いすが活用できない部分のバリアフィリ―、ないしはちょっとしたアシストが社会的にもっとあってもいいと思いました。もし、このような状況になったとして、松葉杖、車いす等を短期間 (病院に行く前まで)、あるいはピンポイントの介助をやってもらうサービスがあるといいなと思いました。特に、夜間、休日等の病院等がやってないとき。家族と同居していれば助けてもらうことができるけど、一人のときの今回のような負傷をしたら、そもそも病院にたどり着くことはおろか、家の外に出るのも、下手をすると誰かに助けを求めるだけですら、最低限生きるために必要なことをするのも大変だと思います。その間のつなぎがないと、そもそも病院までたどり着く時点でハードルが高いと思うのです。もちろん、こんかいいろんな人に助けてもらったことに感謝しています。
最も、私はまだ体が若いので、残った右足一本で立つことはできるし、両手で体を持ち上げることはできる。これがあと40~50年歳をとった体だったら、そうはいかないだろうな、と思います。他の部分でカバーするためには、全身ある程度若く健康でなければ難しいだろうと思います。この怪我が家族の他のメンバーではなく、自分だったのはまだましだと思う反面、私がけがをしたところで、誰かのけがや病気を代わってあげることができるわけではないので、それが良かったとは思えないですね。私が怪我をしたことで、家族が怪我しないで済むとかならまだ納得できる部分があると思うけど、そうではないのでね。
私は高潔ではないので、生きているからよかった、治る (程度が小さい) からよかったとか、もっと苦しい人がいるから自分は幸せなほうだ、等という発想に多少はなるけれども、それ以上に、「痛い、ふざけんな」的な気持ちが強いです。そりゃ、「不幸中の幸い」だとして、不幸がないほうがもっと良いのは当たり前なので、程度が低かろうと、これでよかった、等とは思えないなぁ。かといって、怪我をしなかった未来に行けるわけではないので、怪我をした以上に今年は良いことがないと許さないと考えることにする (誰をとか、何をとかはなしでw)。傲慢でいいんです、今年私が欲しいものは、奪い取ってやるぞクソが、と思ってリハビリがてら、ブログや動かせる部分の軽い筋トレしながら過ごしてます笑。治ったら仕事面等、良い方向で暴れてやる笑
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