主張
正義感に駆られて他人を叩くな。相手を否定したければ、問題だと思う考えや行動だけ注意すればいい。人として否定までする必要ない。相手のためを思っての話であれば、まず否定する前に相手の話に耳を傾けるはず。人それぞれおかれた状況や考えは違うから、私 (たち) が正しくてあなた (たち) が間違っている等と一概には言えない。急を要する場合を除いて、一方的に叱りつけるような奴は、(特に、安全なところから一方的に叩く奴は) 相手を叩くことで自己満足したいだけの、しょうもないカス (三下) にすぎない。
内容
- 私が正しくてあなたは間違っているとなぜ言い切れる? テロリストですら正義を語るぞ。
- 特定の個人の考えがルールとして押し付けられないために、「法律」ってものがある。
- しかし現実には、「ローカルルール」というものがあり、理不尽であろうと特定の個人の考えがまかり通ってしまう場合がある。
私が正しくてあなたは間違っているとなぜ言い切れる? テロリストですら正義を語るぞ。
なぜそんな間違ったことをするの? と言って他人を叩く人がいる。さて、さも自分は正しく、相手が間違っていると言っているように聞こえる。逆に聞きたい、正しいとはなんだ? 例えば、以下のように、(一般的には悪とか間違っているといわれる) テロリスト等と言われている人たちも、奴らの中ではやっていることは正義だぞ。そして、相手の話を聞かずに自分の正義を押し付けている。
- ナチス: 民族至上主義 (自分たちドイツ人は偉い、ユダヤ人は卑しい)→アウシュビッツの強制収容や虐殺等
- オウム真理教: 輪廻 (生と死) の苦しみからの救済 (我々が救ってやろう)→テロ
- ISIL: イスラム過激派 (自分たちの領土は奪われた、力づくで取り戻せ)→テロ
- 植松聖: 障害者差別 (障害者は死ぬべき)→相模原障害者施設殺傷事件
ワンピースより引用。漫画ではこの次が「答えはねぇだろ、くだらねぇ」だけど、ここでは答えがある方の話をしよう。
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特定の個人の考えがルールとして押し付けられないために、「法律」ってものがある。
突然「お前のものは俺のもの」と言われたらどう思う? 日本人だったら「それはおかしい」と思うだろう。しかし、こんなふざけたことがまかり通る場合がある。立法、行政、司法の三権を握ってる場合はできてしまう。俺が小学校の先生から聞いた話で凄く府に落ちた説明を紹介しよう。とつぜん、この私、神庭圭佑が、「お前の財産は俺のものだから貰うよ」といったとしよう。当然、「嫌だ」と返すの局面だけど、俺が欲しいものは全部俺のものになるというルールがある場合、強制的に差し押さえることができるのさ。おかしいと思って訴えても、司法を握っていれば、「それは神庭圭佑が正しいのであなたの財産は神庭圭佑のものです」となる。国等のルールを作るのが立法、そのルールを執行するのが行政、ルールに基づいてルールの違反者を裁くのが司法。これを全て一人、あるいは一部の組織が握ってしまうと、「とんでもない理不尽が、正しいこととしてまかり通る」。そんな理不尽が起こらないように、行政、立法、司法を別々の組織、機関等が担うことで権力の暴走を止めているわけだ。かつては、こんなことが普通にまかり通っていた時代がある。領主と奴隷の関係なんかはそうだわな。昔は全部権力者が三権全て握ってやりたい放題にしていたこともある。三権が分かれ、権力者だけが全て握る状態ではなくなったとしても、根幹のルール (法律) が個人の解釈やその時の気持ちでコロコロ変わっては困るので、ルールは文章で書かれた (成文法)。ここまでやって、ようやく「特定の個人の考えを一方的に押し付けない状態」、要するに、正義と悪の解釈を公平に近い状態にできるわけだ。法的な正義とは、法律などの根幹的なルールに基づくこと、悪とはそれに反することを指す。
昔は現実でもこんなことがまかり通る時代があった。
コロナで非常事態宣言下、最近正義面した「お説教笑」をちらほら見かけます。実態はだいたい個人口撃や八つ当たり。強いて言えば、私刑とかいじめに近いものに思います。いくらコロナで非常事態だからと、他を見なくて良いわけじゃないと思う。
僕としても、相手を打ちのめすのは不毛なので、行き過ぎた他者批判をやめればそれ以上責める必要ないと思いますし。匿名とかネットだからと「安全なとこから」他人叩きだけする連中は心の底から気に入らないし、他人を否定して悦に浸るなと思ってます。それに別に僕は傷心じゃないので。傷心の人をよってタカって(一人でも自分がさも主流派のつもりで)いじめる的なクソ行為は、自分が標的になるより許せん。
お互い意見、解釈、置かれた立場が違うのだから、異論があるにせよ、叩く前に「私は〜されると嫌です、不安ですーと思います」くらいで止めておけば良いんですよね(英語でI thinkくらい、お互い考え違う前提で私こう思うよ) 人それぞれ事情があるわけで。そういう事はお構いなしに、執行人気取りで、お前は間違ってると非難したりする(英語だと、You idiot. No one agree with you. Kindly I tell youお説教くらいの表現でしょうか。)全否定と人間否定を含んだ見下した言い方的な。(それでいて、論破してやると保身や相手の揚げ足取り)。 相手のことを思って言っているなら、まず否定から入らないですよね。相手には相手の事情がありますし、限られた資源や環境の中で、時に心を削って頑張ってる人もいるわけで。
そこが連中の最大の弱みだと思うんですよね。注意喚起にとどめておけばいいところを、「説教する私かっこいい感」と、「弱いくせにプライドだけ無駄に高い」ところが災いして、本人正論を言ったつもりかもしれないけど、僕のような我が道を歩ける悪者w側からすると、簡単に言い負かせちゃうんですよね笑。相撲で言うところの、もろ差しになって勝ち誇って油断してるから、簡単に閂やら上手とるなりで逆に土俵の外に出して、あとは捨て台詞いうくらいしかできない状態になることが大半だと思います。僕はいいんですよね、悪者wをやれるしそんな奴ら相手にする価値もないですし。でも、それで傷ついてる人をみると、いくら雑魚でもごついとこかって思うこともあります。
これからは「人を許せない」気持ちが増幅していく/脳科学者・中野信子さん | MYLOHAS
「今、私はこの戦いに参加したことを後悔している。うまく言えないが、動物の世界にも戦いはある。食いものを得るために、ライオンは他の動物を襲う。しかし、そのライオンだって必要以上の獲物はとらない。自分の家族のためだけの戦いだ。ところがどうだ。人間は・・・権力、欲のために戦い、必要のない者までまきぞえにして殺す。そ、それは、ここにいる私も仲間達も、そして集まってるぜんぶの人間も少しずつ責任があって………」
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