自分(達)が苦しいとき、政治や組織に解決を求める人が多い印象を私はもっています。そういう場合、これでは苦しい、何かを変えてくれと声をあげる行動にでる印象を持ちます。言ってみればデモのように。極端な場合は暴力に走ったりする。それではダメで、問題の本質が個か社会のどちらにあるかによって対応が異なり、いずれもデモの類では解決しない、というお話です。(ただし、民主主義が成立している場合に限る)
Suffering people would be pone to complain about their pain to their community, company, and government. Protest demonstration is an example. But I think it meaningless to solve the problems. We need an action to remove the core of the problem in spite of complainant, violence, and spiritless. I think the action would be categorized two direction; personal solution or communication. (This opinion is mentioned in democracy, not in the situation without freedom of speech like slavery.)
もし社会や政治等が、自分たちの望むことをしてくれないと感じるなら、私はそれは「当事者意識の欠如」「人任せ」と思うのです。なぜなら、自分で変えようとしておらず、解決を他人に委ねている状態だからです。例えば、あなたが親で、どうしても明日遊園地に行きたい駄々っ子が、いるとしましょうか。しかしその日はあなたは仕事があるとしましょう。この子が遊園地に連れていかないと絶対にここを動かない等と言って、座り込んで抗議したら遊園地に連れていきますか? この場合は親には親の事情があり、子供の事情をその通り受け入れない何かがあるはずですよね。この例では、考えているのは常に親、子供はそれを受け入れるか否かの判断しかしていません。対話をしようとしていないのです。親側の立場も踏まえて話をしないと話は平行線ですよね。これはデモの例でも同じです。暴力に訴えたり、騒動を大きくするのは事の重大さを伝えるためでしょう。私なら、そんな考えは絶対に受け入れません。なぜなら、文句を言うことで要求が通ると学習すれば、都合が悪くなると文句を言うようになり、対話が成立しないからです。私ならそんな人は (話が通じないので) 相手にしません。
If someone feel community and politics betray them, they would leave the problem to other people. I think they need ownership. Heaven helps those who help themselves. Community and government never work as heaven for you because they work for public welfare, not for personal happiness.
I show you an example: I suppose a child want to go to amusement park and you are the parent of the child. The child request you to take he or her to amusement park the next day with sitting protest. But you should work the next day. In this situation, do you accept the child's request? I think you would reject the child's request. In this case, the parent decides everything and the child selects ONLY accept or reject. In this situation, I think the parent and the child discuss each other and share the feeling and situation.
In my opinion, I reject almost all the proposal requested by protestant demonstration. I think protest demonstration is almost similar as `the child of my example'. Most participants of protest demonstration just request heir opinion without communication with the opponent. They often resort to extreme method like violence to deliver their message. Extreme method easy to draw an attention. But I think this is a worse way to solve the problem. Once they accepted, hey should had continued extreme method to request. To shut out the 'spoiled child like behavior' the community or government would be prone to ignore protest demonstration.
私見ですが「当事者意識の欠如」「人任せ」と思うのです。
— 神庭圭佑: 科学者&個人投資家&グルメブロガー (Keisuke Kamba, Ph.D.) (@KambaKeisuke) July 5, 2020
政治家や政府等に自分を救う制度作れとは思えど、自分で変えようとしない人が日本には多い印象を受けます。「起業してリスク背負うより宝くじに期待する」的な。南米は分かりませんが
デモも拒絶は言うけど、改善策を一緒に考える訳じゃない
この話題で私が印象深いと思った動画を紹介しましょう。白人が黒人に対して非道な行いをし、人種差別により黒人が酷い仕打ちを受けたと思しき事態では、アメリカではよくデモが展開されます。しかし、この光景を繰り返したからといって、決して状況は改善されていません。世代を経ても、似たようなことを繰り返しているに過ぎないでしょう。何度もデモに参加した黒人の男性は、より若い黒人の男性に、別のやり方を探してくれ、この状況をかえてくれと訴えています。私も、デモでは改善しないと思うのです。
I inteuduce a video; a protestant demonstration by black people
これと似ています。宝くじで当たったとしても、たいてい幸せな結末にならないことが多いとの事です。他力本願ではダメで、自力で勝ち取れと言うことです。 赤外線温度計今SNSにアメリカでの黒人差別に関する多くの動画/写真が流れてる中で、自分が最も力強いと感じた、それぞれ世代の違う3人の黒人が話す2分弱の動画に日本語の字幕を付けました
— yösuke (@avril24th) June 1, 2020
理不尽な社会に生きる彼らの発する言葉ひとつひとつの重みを、英語を日常で話さない日本人の方々にも是非知って欲しいです pic.twitter.com/aB9RdiTiPh
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