前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしました。これまでも、私は研究の話をこのブログではほとんど書いていないし、書いていたとしても、過去に論文など、正式な方法で公になった後に書いています。これについて、特に事業に携わってこられた方などは、「ブログを使うなら、やろうとしていることを書いて出資を募りなよ」などと考えられる場合があり、「それはさほど難しくないでしょ、終わり」、という程度の印象に伝わってしまう場合があるので、その考え方はできないというか、やりたくないことをここでは書きます。研究関連の方にとっても、ぺらぺら余計なことをここで書いているわけじゃないと伝えられると思います。
前提として、事業としての研究と、学術研究は別物
研究、という単語を使えば似たようなものかと言えばそうではなくて、企業などが事業として行う研究と、大学などの研究機関で行われる学術研究は別物、ということです。めざしている方向性が根本から異なるため、アウトプット、つまりはめざす成果物の形が異なり、そして、それによって、出資側に自分たちがやりたいことをどう伝えるか、というのも異なってきます (企業でも学術論文や特許などのようなアウトプットを目指すこともありますが、その場合でも基本的には最終到達地点は利益となります)。大雑把に言えば、事業であればあくまで「利益」を目指すことがゴールで、学術研究は「新規性の証明」を目指します。ここから少し詳しく触れます。
事業としての研究の場合
研究であっても、あくまで「事業」というからには、「経済活動」の一環です。その団体が潤い、所属する者たちが食べれるような形に繋げる必要があります。従って、紆余曲折があっても、目指すべき成果は「利益」となります。もちろん、社会貢献等を通じてめぐってくるものという考え方もありますが、身銭だけきって自分達が生きられないのでは話になりません。利益といっても利益という形の成果物が実在しているというわけではなく、何らかの形で利益につながることが重要になります。例えば以下のようになります。
- 製品: 具体的な製品を生み出し、販売することで利益を得る。
- 発明: 製品としてのアウトプットでなくとも、その一部の要素を作ることで、将来的に優位性を取れ、それが利益につながる。概念的に新しい何かを生み出せば新しい市場が生まれるわけで、その結果として利益になる。
- 開発: 製品として利益を生み出せるかはともかく、何かしらのアプローチを行い、そこから何かしらの知見が得ることを目指す枠組み全般こちらで良いと思う。例えば、今の設備のままでは○〇が足りず、××を補うことで△△に近づくといったことも大事な成果。
- 特許: 知的財産としての所有権を示す。これによって、使用料を得る等で収益になるし、宣伝等にも生かすことができる。ベンチャー等では、特許を持っている (実質占有している) 状態で事業を始めることが多い。
- 優位性: たとえば、○〇に携わった結果、構成員の××の技術が高まり、業界のなかで優位な立場になるなど、必ずしも、物や概念、知的財産のどれも得られなかったとしても、経験値などの副産物で結果として競合先に対して有利に立てるのであれば、それは利益として見て良い。長い目でみた結果、利益をもたらす営みに貢献できたかどうかが重要。
その利益を生み出す営みですが、事業として行う場合は自分達で出資する場合、外部の出資を頼る場合など、多少の差異はあれど、基本的には「出資側にそれを説明し、お金を出してもらう」ことでスタートすることがほとんどになります。出資側としては、外部だと、銀行などの金融機関、投資家 (団体)、株式市場に上場すれば一般投資家をはじめとした市場全般が出資側となります。出資側が求めているのは基本的に「見返り」、すなわち、「出した分以上のリターンがあるのか」ということになります。それを評価するために、出資を受ける側は事業について説明し、特にその利益や将来性の話をし、対して出資する側はそれを評価したうえで出資に値するか否かを判断します。この意味で、事業としてやるのであれば、何をやりたいか、そしてどんな成果が得られそうか、という情報は研究であっても基本的に外に出すものとなります。もし私が研究としてやりたいものが「事業」であるなら「何をやるつもりで、どんな成果を得られそうか」というのを書いて応援者を募るべし、というのが事業サイドから見た場合の考え方です。
学術研究の場合
学術研究の場合、いってみればB to Bビジネスとしての研究ということになります。ここでは「学術的に新しい」ことが前提として求められ、それをデータ等で客観的に示すために使われるフォーマットが、多くの場合は (学術) 論文、特許となります (更に言えば、学術的に新しいことに加えて、どんな価値があり、どれだけ意義があると思われるかというところでその成果物に価値が付きます)。これは、研究のプロによる研究のプロのための発信として、同業者や業界に評価されることが重要であるともとれます。また、論文などの成果物を出した段階では、製品等、一般大衆や市場に届く形になっていないことが大半であり、評価者のその時点で見込まれた価値がのっており、実際にそれが未来にもたらす価値とは必ずしも一致しない場合があります。学術的な研究の場合は、あるいみ教科書を書き換えるようなもので、その発見、発明をしたのは誰かと、起源主張することに意味があります (起源主張が通らなければ、論文や特許といった学術的な成果物として認められません)。起源主張したいということは、ホームページなどで一般公開する場合は、何をするつもりかを明かして (潜在的な競合相手となる) 同業者にアイディアを見せることは悪手ということになります。従って、研究計画書等を提出し、研究資金などを調達する場合など、一部の例を除いて、将来的に何がしたいかについて、出さないことが基本で、出してもお茶を濁すことが一般的になります。学術研究の場合、新しいことを見つけて起源主張する (証明する) 営みになりますが、この活動は、短期的に利益をもたらす活動ではなく、政府といった公的機関や、財団などに支えられている場合が多いです。長い目で見れば国益になる可能性があるとか、そういう方向性となります。
で、おまえはどっちよ、というのが答え
これまで私が研究業界でやってきた研究は学術研究です。そして、私一人ではなく、いろんな協力者がいて成り立っているものであり、私一人の一存で方向性をころころかえるようなものではありません。これまでやってきた研究が、利益追求を目指したものでないのであれば、ブログのような場所で資金を募るような方向性の出し方をするのは不適切、というのが私の見解です。仮にやったとすると、過去に協力して研究してきた方々に対する裏切りといいいますか、そういう人らの利益を損ねる行動となる可能性が極めて高く、私にはそれをやるメリットがないと判断しています。そこでこのブログでは、別の形、例えば広告等を活用する形態をとっています。もしかしたら誰かの役に立つかもと思う視点としては、学術研究をそもまま事業としての研究に移行できるわけではないし、その逆もないと思うよと言うことです。それぞれ別のものなので、移行したいなら改めて0ベースで骨格から考え直すのが良いと思います。こういうの書けるのはなんでかと言えば、両方 (片方は触る程度だが) 経験している上で、勝ち筋を見続けているから。勝つためには、勝ち筋を増やし、負け筋を減らすことが大切になるけれど、今回の投稿で書いていることをはき違えた場合、明確な負け筋になると考えています。
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