2025年4月3日木曜日

その選択を取れるのが羨ましいと言われ~自責でも他責でもないもの

前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしましたが、同じ業界の知人数名とこの話をしたとき、同情とか嘲笑があるのかな、と思ってましたが、私にとって意外なことに、「羨望: その選択を取れるのが羨ましい」という意見が多かったです。私としては、そんな風に思うんだと少し驚きました。

  • 同情こそすれど、明日は我が身だと自分事のように思って、とても笑いごとにできない。
  • 一般的に残された選択を、あまり魅力的だと思えない (ないしは魅力的な案件が偶然落ちていることが少なく、たまたま自分が引き当てられる保証が持てない) ことには激しく同意する。
  • それ以外の (自分が希望が持てる) 道を選べることが羨ましい、例え不完全なものであっても。
  • 先が見えない将来が不安だ。

例えばこんな感じの答えがありました。まず、今回の私のような状況になったら、まず生きること (自分以外の家族なども含めて) を、次に生活の水準をある程度以上上げること、次に何かを実現したりとか、何かを勝ち取ったり楽しんだりすることを目指すのだと思われます。しかし、人間はそんなに単純じゃなくて、頭ではわかっていても、簡単に気持ちの整理なんてできないと思います。理屈だけで割り切れるなら苦労しないでしょう、例え研究業界に進んだ高学歴な人たちであっても。そして、感情に捕らわれると、だいたい「自責」か「他責」に陥ると思います。

自責

  • 自分はダメだ (能力がない、環境が悪いetc)。
  • あのときこうしていれば (タラレバ)。
  • 自分は報われない等という諦め。
  • そこから付随して、やってもしょうがない。
その結果、自分の殻にこもるというか、外に出なくなる。出たくなくなる。関りを切りたくなる。

他責

  • アイツが悪い、アイツのせいでこうなった。
  • 制度が悪い、時代が悪い。
  • 運が悪かった。

その結果、他人を批判する。制度を変えようとする。何かを訴える。特に毒を吐いたりとか、悪く言う方向に動くことが多い印象。

傲慢のなれの果てに...

私がどちらにもなってないのは、自分が報われる未来にしか興味がないからです笑。自分を責めたら報われますか?→いいえ、もっと報われなくなると思います。他人を責めたら報われますか?→そういうことはあるかもしれませんが、時間がかかり割に合いません。という風に考えています。一言で言うと、傲慢なのでしょう笑。他人を変えるには時間がかかります。組織を変えるには更に時間がかかり、コミュニティを変えるにはもっと時間がかかり、社会を変えるにはそれ以上に時間がかかります。その時自分がやりたいことをできる立場にありますか?ということだけが重要だと私なら考えます。そして、他人を変えることができたとして、自分が報われないのであれば、私にはやる価値を見出せません。自分の屍で数万人を超える後に続く人を救うことに興味はなく、私は自分が一人報われるほうを選びます。現実問題、私の中では、私一人を成功させる道をただ探す方向が、他人や制度を変えるよりずっと早くシンプルに思うのです。ただシンプルに勝ちたい、生きたいと、けだもののごとく考えているようなものだと思います笑。それなりに追い詰められた局面で、謙虚さを発動して誰かに道を譲る優しさは、私には見いだせなかっただけのことです。私自身は、まるで哀れな乞食だなとでも思うこともありますが、どうやらそれが羨ましく見えることもあるんだなと。


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