2025年4月27日日曜日

威圧する指導は悪手~「年長者が舐められる典型例」~満員電車で膝蹴りしてきたオッサンを私があしらった一件

最近私が満員電車に乗ったとき、たまたまぶつかってきた自分より年上のオッサンに膝蹴りされ、それをあしらったことがありました。この例は「年長者が舐められる例」としてピッタリだと思ってブログで紹介します。私は特に人と関わる時、人にランク付けしたり序列つけたりしないで関わることが多いですが、それでもこの例ででてくるおっさんのようなことをされた場合は呆れます 。

HUNTER X HUNTER  No.264より

満員電車でぶつかったら膝入れてきたオッサンが、まさに大人が舐められる典型だと思った

先日、満員電車に乗っていて、私は立っている時、電車が揺れて(明かに私より年上に見える) 白髪の細めのおっさんにぶつかったんですね。そのおっさんは座っていて、うとうとしてる感じで、私がぶつかるとあからさまに舌打ちされました。こういう態度とってくる奴にこの段階で謝るなどの下手にでる行動とるのは悪手 (イジメられる側がやる傾向がある行動) だと思うので、特に反応せず、そいつと目を合わせてしっかり見るようにしてました。そのうち電車が揺れて二度目にぶつかると、また舌打ちしてきて、また揺れて三回目にぶつかったとき、舌打ちから膝蹴りしてきたんですね。これは下手にでたらいかんなと思って、「なにお前?」っておっさんにいいながら、しっかり目を合わせて顔をガン見しながら、おっさん方向に一歩前進してオッサンを真正面に向かう位置にポジション取りします。これで勝負あり、というか格付け完了。以降おっさんは私と目を合わせなくなったし、体制を崩してその後おっさんの足を (ワザとではありませんが) 踏んづけることもありましたが、おっさんは舌打ちしたりせず、おっさんが足を退けました。この一連のやり取り、年長者が年少者に舐められる行動の典型だなと思思いました。些細なことで、さほど意識しないことも多いかもしれないけど、このおっさんの状態を客観的に言語化すると、「舐められてしまった」ことになります。

このおっさんに対して相対的に若い私が思ったことを言語化

ここで説明のために、相対的に若い私が、相対的に年上であるこのおっさんに対して思っていたことをあえて言語化してみます。

  1. 舌打ちの段階で「何コイツ?」
    まず、満員電車で他の人にぶつかるのは、特に珍しいことではないです。電車が揺れれば、距離が密集していれば近くの人にあたることもあるでしょう。それくらいのことで舌打ちする等、不機嫌な態度をしてくる段階で、「コイツ頭がおかしい」「自分勝手すぎる?」「所謂DQN」という印象受けました。威圧したりとかゴネたりとかで、自分の思うようにコントロールするとか、そういう臭いを感じました。そこで、「私はお前の思う通りにはならないよ」って態度とって、これ以上つけあがらせないようにしようと考えて、舌打ちしてきた後しっかり目を合わせにいきました。
  2. 膝蹴りをした段階で、生き物として下に見た
    まず膝蹴りしてきた時点で、「何コイツ?」って呆れます。更に、見た目が10歳以上年上で、自分より体格に劣るオッサン (爺さんという方が近いか) が暴力をふるってきた。仮に暴れたところで、たぶんこのおっさんに私は倒されないと思うので、「何がしたいの?」と思いました。この状況、私側からは負け筋が見えないので「全く怖くない」です。これで明確に舐めました。特に意識してないけど、あえて言語化すると「バカかコイツ」と思って呆れました。「いったいお前は何をやりたいんだ?暴力で有利がとれるとでも思うのか?バカか?」と思いました。
  3. これまでの言動を総括して、人間として下に見た
    ここまでこのおっさんがやってきたことは、肩がぶつかったチンピラが喧嘩腰で凄んでいるような印象です。これを若い時期にやるならそれほどおかしなことではないと思うのですが、過去にどうだったかは別として、ある程度年齢を重ねると、丸くなるというか、見ず知らずの他人を公共の場で威圧するみたいな行動ってやらなくなるとおもうんですよね。私より明らかに長く生きて人生経験を重ねているであろうおっさんが、中高生の不良やチンピラ紛いのことをしている姿を見せられているので幻滅しますね。「いつまでこんなことをしてるの?」「精神的に成長していないの?」って思います。嫌な表現すると、「無能感」をこのおっさんから感じます。

これらの印象から持つ印象は「何コイツ、痛すぎる」です。イジメられ体質というか、真面目で気弱な人の場合は、こうして凄まれるとごめんなさいと言ってしまう傾向があり、凄むことで押し通せる場合もありますが、私のような (いじられることはあるが) イジメられにくい体質の人にやったら逆効果で、しかも公共の場でやってしまったので、このおっさんはある意味恥を晒された状態になったと思います。もしこのおっさんが舐められている状況が気に入らなくて、凄むとか、怖がられるとか、そういう方法でアプローチすればするほど (こちら側に負け筋がないので何をするでもなく自然と) 恥をかかされて (私以外の人からも) 舐められます。嫌な表現をすると、ライオンが飛んでくる小蠅をそもそも相手にしない的な状態でしょうか。

私は年下に指導するとき、威圧系の指導をしないようにめちゃくちゃ気を付けている

このおっさんから学べることはですね、「自分が年上や目上の立場の時、年下や目下にこのおっさんみたいなことをやると、舐められる」ってことですね。こういうことは元々感覚的に思っていました。部下、後輩、学生指導といった、年下を相手にする時、威圧系の指導をしないようにめちゃくちゃ気をつけてます。例えば以下のような行動をしないようにしています。

  • 威圧
    怒るとか怒鳴るとか、「私は怖いぞ」と思わせることを意図した行動全般をやらないし、そう見える言動を避けます。大人だと体力勝負したら一般に若い方が有利です。凄んだところで怖いと思わないでしょう。
  • チンピラ風の立ち振る舞い
    自分が恐れられているとか、恐れさせようとする行動全般をやらないし、そう捉えられそうな行動を避けます。その手の行動をしたとして、(何か弱みでも握っているとかでないと) 目下だからといって、相手がこちらの顔色をうかがいびくびくしなけらばならない理由がないと思います。年上や肩書が上なだけで、それをダシに「おれのほうがお前より偉い」といってしまうと「こいつは人の事をみていない、人のことを見れない」と思われてしまい、かえって距離を取られると思います。

逆になめられたくなければ、何をしたらいいかというとですね、「大人は背中で語れ」と思います。例えばやって見せるとか、一生懸命仕事とか頑張る姿勢を見せるとか。凄いと思われたいなら、凄いと思われるだけの何かをする必要があると思うし、尊敬されたければ尊敬に値する何かをする必要があります。長い努力を続けた先にある大変な道です。それをやらないで「言葉や暴力で威圧」している状態は、中身がないと自分で言っているようなものだと思います。一社会人として、「喧嘩の強さ」「やんちゃしてます」みたいな指標は、人として尊重されるかどうかには無関係なことがほとんどで、ある程度の年を重ねてからその人の価値を決める指標にならないと思います (格闘技をやっているとか、エンターテイナーだとか、特殊な例の場合は、この限りではないと思いますが)。そういう行動をやればやるだけ舐められると思います。今回話題にしたおっさんに対してチンピラっぽく返すなら「楽な方に逃げてんじゃねぇカス」になると思います。

宇宙兄弟  第190話より


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2025年4月22日火曜日

失業保険の申請、この時の自分のような人を助けて研究室主催者なる道を着想

前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしました。そして、先日、権利ではあるので嫌々ではあるけど、失業保険の申請にいって手続きを進めました。その中で、私のような立場になった中堅どころの生活を短期間支えることができれば、研究室主催者 (業界的にはPI) とほぼ同じことができそうだと着想しました。そして、このブログから連なるルートにその可能性があると思うので紹介しましょう。

失業保険申請

先日、ハローワークへ行き、失業保険の申請をしてきました。正直ここに行くのもいやだったし、気持ちが進みませんでした。ハローワークの人の対応は丁寧だったし、他の人に不快なことをされたわけではありませんが、今私が仕事についていない状態でここにくるというか、はじき出されているような事実に目を向けるのが凄く不快でした。失業保険の申請ができるということは、現時点まではブログについては事業として成立していないということになります笑。失業保険なので、仕事をしているときに比べたら入ってくるお金は少なくなるので、生活の質を下げる必要が出ると思います。なんにせよ、まがいなりにも180日間は失業保険でお金がでることになるので、権利は権利、使えるものは全て使って、何としても生きてやると思います。

公募戦士

現在の私の状況としては、失業保険で食いつなぎつつ、研究業界の公募に応募するといった形態ですね。俗に「公募戦士」などと言われてるような形態です。このような形態では、任期があと〇〇だから、より条件の良い職を探したい等といった理由で在職中に応募していくことも多々ありますが、現在の私のように、現職を失い、そして次を探す意図でこのようなやり方をとっている方もおられるでしょう。正直、この立場になりたくてなったわけではないですが、なってみて見えたことがあります。今の自分のような立場の人を救済できれば、私は既存の方法とは別のやり方で独立できると元々思っていたのですが、具体的なビジョンが描けました。

大学教員の研究指導と比較して

過去の投稿でも紹介しましたが、学術研究としての研究をやるということなら、例えば大学の教員があてはまります。大学の場合は、多くの場合は、チームの主戦力は学生です。教員はプロジェクトリーダーや監督的な役割を担うことが多く、現場で手を動かすのは学生が担っていることが多いです。例えば私が所属していた京都大学のような「所謂研究で中心的な役割を担うことが多い大学」の場合 (理工系の場合)、所属した学生の多くが学部学生を卒業した後、大学院の修士課程に進み、更にその一部は定期的に博士課程に進学することが多いです。また、研究員や研究補佐員といった、お金で雇われて研究に携わったり、そのサポートをする人が在籍している場合があります。その一方で、研究で中心的な役割になることが少ない大学の場合、学生は大学院に進まず就職することが多いです。研究は大学の学部学生の4年、早いところは3年あたりから始めることが多く、大学院に進まないのであれば、4年生の頭くらいに就職活動、卒業前後で卒業論文の執筆に時間をとられることが多いです。また、学部4年や3年では、大学の部活等に属している場合、大きな大会を最上級生として迎える可能性があります。その他、研究以外の他の実習や授業等 (単位を落としている場合特に)、バイトや長期旅行といった、学生時代の自由に使える時間を活かせる活動などに時間を費やすこともあるでしょう。そうすると、院進しない学生がまともに研究に充てられる時間は、せいぜい半年あるかないか、といったところでしょうか。当然、研究のイロハをしらない人たちが入ってくるので、基礎から指導することがほとんどなので、一通り覚えるだけでも2か月とか、それくらいは使うのではないかと思います (こういった部分を教える、指導するのは大学が研究教育機関である要素に思います)。以上を踏まえると、院進しない学生の実質稼働時間は4か月前後と考えて良いでしょう。つまり、4か月稼働する人がいれば、たぶん大学教員が (院進しない) 学生と行う研究とほぼ同じことができそうだ、と思いました (そして、大規模にやりたければ、スケールアップすれば良いという事)。これで過去に投稿していた内容を踏まえて、もっと具体的な計画が浮かびました。

トレーダー×経営者、中堅が投げ売りされている感

さて、現時点の私のような年齢は、若手~中堅にあたると思います。そして、研究の業界でプレミアがつきやすいのは、一般に「若手」「エリート」「重鎮 (成功者)」になります。多くの場合、このカテゴリに分類される層にお金等のリソースが集まりやすいのが実情としてあります。一方で、ある程度年齢が進むに従って枠が狭くなっていき、その枠にあふれてしまう人も現実として存在します。私もまさにその枠にあふれた人の一人です。だからといって「落第とか、最初から可能性がなかった」などとは思いませんし、他のあふれた人が能力がないとも思いません。選ばれた側の人が実際に素晴らしいこともありますが、選ばれなかった側と比べて別格に優れていたかと言われたら、必ずしもそうなってないと思います。私自身、こうしてあの手この手でカードを切って抗っていますが、正直、コネだとかもっと楽な方法で選ばれるならそっちの方がずっと良かったと思っています。難しい道や他の人が進めない道に進めるのは、もしかしたら能力や才能が成せることかもしれませんが、そんなものよりもっと楽に立場をくれよと正直思いますよ。ここで投資という視点に変えれば、「若手」、「エリート」、「重鎮」と言われるカテゴリは投資されやすく (プレミアがついている状態で)、中堅どころのカテゴリは (上記3つののカテゴリに当てはまらい場合) 投資を受けにくいと思われます。投資先としてのプレミアという観点でみれば、研究業界の中堅どころの人材の給料や待遇は、上がりにくい傾向があるのではないかと思います。一方で、中堅どころは技術や能力をもっていて、実質仕事として中心的な役割をになっている割に、相対的に立ち位置が低い場合が多い傾向がある印象を受けます。ならば、あふれた中堅人材を一時的に助けることができたら研究が成立すると思いました。そんな人がどれくらいいるかということですが、表には出ないだけで、一定数起こっていると思いますね、これ。その状況になった身で言えば、私だって公言したくなかったし (それでも収益をとれる可能性に賭けて公言する方に進んだけど、それはそれでいろいろ覚悟が必要だった)。

ONE PIECE 第528話より

短期トレード×動画配信卓→中堅の短期保有 

研究初心者の大学の学部学生の1年分、実働時間4~6か月で作れる成果であれば、実力が充分の中堅が (片手間であっても) もっと短い期間で達成できる可能性が高いと思います。つまり、失業保険期間以内で充分だと。例えば、任期がきれた中堅どころが一時的に所属できて、科研費等の研究費の受け入れ要件を満たす機関となっていれば、研究費は死なない。私のように、自分の研究費を廃止にするような選択肢をとらなくても良くなると思います。その期間に次の仕事を見つける手続きをしながら、つなぎ期間に私のプロジェクトをやってもらえば良いと思います。そのちょっとした繋ぎの間に、生活は保障するからちょっとだけここで手を動かしてくれ、といった形で充分事足りると思いました。株式投資でいうところの短期保有といった形の形態で、こういう方針なら育てる必要がないので研修にさほど時間はかからないでしょう。自分の行きたい未来にはばたくための踏み台につかってくれればそれで良いと割り切ります。業界に文句や不満を言うのではなく、カバーできていない部分を埋めればよいという考えです。次を見つける気持ちがなく、私の下で力を発揮したいという人がいるのなら、それはそれで良いでしょう。こういう場合は長期保有という形になるでしょう。ここで短期保有ということで、例えば履歴書や面接にでてこない「人となり」、「技術」や「現場力」といった能力をこちらの管轄下であれば記録できるのではないかと思いました。例えばゲームの大会などでは、配信卓だとかでその内容が配信される場合があり、そのプレイヤーの魅力を伝えるのに有用だと思いました。研究でも似たようなことをして、それを有料で販売すれば、それはそれでビジネスにできるかもと着目しました。履歴書などの応募書類と面接だけでは見えてこない部分があり、それを一部であっても伝えることは使いようがありそうだなと思います。安く買って高く売るのが投資の基本です。はじき出された中堅は実質バーゲンセール状態、そういう人の生活を一時的に繋ぎ止め、研究業界に価値のある人材として提供する (高く売る) ことができれば、いずれの当事者の視点で見ても利益になると思います。

能力の掛け合わせに活路を見出す

今回より具体的にプランを整理したことで、後何を満たせば実現できるかが、より明確になりました。私の場合、正直人より持っている能力のレパートリーがあり、それを掛け合わせることが活路になると思います。その証拠に、ここで書いたプラン、他に実行している人がいなさそうだと思います。やっていれば、SNS等でそれが伝わってくるはずですからね。トレーダーとして、一応不動産の経営者って顔も持っている私だからこそ着想もするし、実際に挑戦しようと考えるのでしょう。アイディアを盗みたくば持っていくがよいと思います (研究で何やるか自体は書けませんけどね笑: 研究の話をブログで書かない )。余談ですが、掛け合わせで漫画とかで例をいくるか見てたら、ヒロアカのAFOの掛け合わせのイメージ、説明に使えそうで面白いなと思ってて、単なる悪役ではなく「これは僕が最高の魔王になるまでの物語だ」っていう表現してるのも良いなと。これ、使わせてもらいましょう笑。能臣になると認めてもらえないならば、奸雄を取りに行きましょう。なんだかんだで、私も男の子ですからね笑。

僕のヒーローアカデミア No.287より

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2025年4月9日水曜日

研究の話をブログで書かない

前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしました。これまでも、私は研究の話をこのブログではほとんど書いていないし、書いていたとしても、過去に論文など、正式な方法で公になった後に書いています。これについて、特に事業に携わってこられた方などは、「ブログを使うなら、やろうとしていることを書いて出資を募りなよ」などと考えられる場合があり、「それはさほど難しくないでしょ、終わり」、という程度の印象に伝わってしまう場合があるので、その考え方はできないというか、やりたくないことをここでは書きます。研究関連の方にとっても、ぺらぺら余計なことをここで書いているわけじゃないと伝えられると思います。

前提として、事業としての研究と、学術研究は別物

研究、という単語を使えば似たようなものかと言えばそうではなくて、企業などが事業として行う研究と、大学などの研究機関で行われる学術研究は別物、ということです。めざしている方向性が根本から異なるため、アウトプット、つまりはめざす成果物の形が異なり、そして、それによって、出資側に自分たちがやりたいことをどう伝えるか、というのも異なってきます (企業でも学術論文や特許などのようなアウトプットを目指すこともありますが、その場合でも基本的には最終到達地点は利益となります)。大雑把に言えば、事業であればあくまで「利益」を目指すことがゴールで、学術研究は「新規性の証明」を目指します。ここから少し詳しく触れます。

事業としての研究の場合

研究であっても、あくまで「事業」というからには、「経済活動」の一環です。その団体が潤い、所属する者たちが食べれるような形に繋げる必要があります。従って、紆余曲折があっても、目指すべき成果は「利益」となります。もちろん、社会貢献等を通じてめぐってくるものという考え方もありますが、身銭だけきって自分達が生きられないのでは話になりません。利益といっても利益という形の成果物が実在しているというわけではなく、何らかの形で利益につながることが重要になります。例えば以下のようになります。

  • 製品: 具体的な製品を生み出し、販売することで利益を得る。
  • 発明: 製品としてのアウトプットでなくとも、その一部の要素を作ることで、将来的に優位性を取れ、それが利益につながる。概念的に新しい何かを生み出せば新しい市場が生まれるわけで、その結果として利益になる。
  • 開発: 製品として利益を生み出せるかはともかく、何かしらのアプローチを行い、そこから何かしらの知見が得ることを目指す枠組み全般こちらで良いと思う。例えば、今の設備のままでは○〇が足りず、××を補うことで△△に近づくといったことも大事な成果。
  • 特許: 知的財産としての所有権を示す。これによって、使用料を得る等で収益になるし、宣伝等にも生かすことができる。ベンチャー等では、特許を持っている (実質占有している) 状態で事業を始めることが多い。
  • 優位性: たとえば、○〇に携わった結果、構成員の××の技術が高まり、業界のなかで優位な立場になるなど、必ずしも、物や概念、知的財産のどれも得られなかったとしても、経験値などの副産物で結果として競合先に対して有利に立てるのであれば、それは利益として見て良い。長い目でみた結果、利益をもたらす営みに貢献できたかどうかが重要。

その利益を生み出す営みですが、事業として行う場合は自分達で出資する場合、外部の出資を頼る場合など、多少の差異はあれど、基本的には「出資側にそれを説明し、お金を出してもらう」ことでスタートすることがほとんどになります。出資側としては、外部だと、銀行などの金融機関、投資家 (団体)、株式市場に上場すれば一般投資家をはじめとした市場全般が出資側となります。出資側が求めているのは基本的に「見返り」、すなわち、「出した分以上のリターンがあるのか」ということになります。それを評価するために、出資を受ける側は事業について説明し、特にその利益や将来性の話をし、対して出資する側はそれを評価したうえで出資に値するか否かを判断します。この意味で、事業としてやるのであれば、何をやりたいか、そしてどんな成果が得られそうか、という情報は研究であっても基本的に外に出すものとなります。もし私が研究としてやりたいものが「事業」であるなら「何をやるつもりで、どんな成果を得られそうか」というのを書いて応援者を募るべし、というのが事業サイドから見た場合の考え方です。

学術研究の場合

学術研究の場合、いってみればB to Bビジネスとしての研究ということになります。ここでは「学術的に新しい」ことが前提として求められ、それをデータ等で客観的に示すために使われるフォーマットが、多くの場合は (学術) 論文、特許となります (更に言えば、学術的に新しいことに加えて、どんな価値があり、どれだけ意義があると思われるかというところでその成果物に価値が付きます)。これは、研究のプロによる研究のプロのための発信として、同業者や業界に評価されることが重要であるともとれます。また、論文などの成果物を出した段階では、製品等、一般大衆や市場に届く形になっていないことが大半であり、評価者のその時点で見込まれた価値がのっており、実際にそれが未来にもたらす価値とは必ずしも一致しない場合があります。学術的な研究の場合は、あるいみ教科書を書き換えるようなもので、その発見、発明をしたのは誰かと、起源主張することに意味があります (起源主張が通らなければ、論文や特許といった学術的な成果物として認められません)。起源主張したいということは、ホームページなどで一般公開する場合は、何をするつもりかを明かして (潜在的な競合相手となる) 同業者にアイディアを見せることは悪手ということになります。従って、研究計画書等を提出し、研究資金などを調達する場合など、一部の例を除いて、将来的に何がしたいかについて、出さないことが基本で、出してもお茶を濁すことが一般的になります。学術研究の場合、新しいことを見つけて起源主張する (証明する) 営みになりますが、この活動は、短期的に利益をもたらす活動ではなく、政府といった公的機関や、財団などに支えられている場合が多いです。長い目で見れば国益になる可能性があるとか、そういう方向性となります。

で、おまえはどっちよ、というのが答え

これまで私が研究業界でやってきた研究は学術研究です。そして、私一人ではなく、いろんな協力者がいて成り立っているものであり、私一人の一存で方向性をころころかえるようなものではありません。これまでやってきた研究が、利益追求を目指したものでないのであれば、ブログのような場所で資金を募るような方向性の出し方をするのは不適切、というのが私の見解です。仮にやったとすると、過去に協力して研究してきた方々に対する裏切りといいいますか、そういう人らの利益を損ねる行動となる可能性が極めて高く、私にはそれをやるメリットがないと判断しています。そこでこのブログでは、別の形、例えば広告等を活用する形態をとっています。もしかしたら誰かの役に立つかもと思う視点としては、学術研究をそもまま事業としての研究に移行できるわけではないし、その逆もないと思うよと言うことです。それぞれ別のものなので、移行したいなら改めて0ベースで骨格から考え直すのが良いと思います。こういうの書けるのはなんでかと言えば、両方 (片方は触る程度だが) 経験している上で、勝ち筋を見続けているから。勝つためには、勝ち筋を増やし、負け筋を減らすことが大切になるけれど、今回の投稿で書いていることをはき違えた場合、明確な負け筋になると考えています。

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保険証つくれない問題に直面~花粉症とコロナと思しき風邪のダブルパンチで身動き取れず

前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしました。前の職場を離職した結果保険証を返却しているので、現在私は保険証を持っていない状態ですが、そこに対して何かしらのアプローチをするのが難しい状況でした。似たような境遇になる人がいたら、もしかしたら参考になるかもしれません。

保険証問題

なぜ保険証をもっていない状態、つまりは前の保険証を返したのは良いとして、新しい保険証が手に入っていない理由が、①次が決まる可能性があるため、動きが遅れた。②雇用保険を活用する可能性があるため扶養に入れない。③国民健康保険に加入するには手続きが必要。基本的には、離職即 (14日以内に) ③か②の手続きに入るのが一般的なようですが、当然そんなもの知らないので、すぐには対応できませんでした。そうこうしているうちに、コロナと思しき風邪に感染し、ついでに花粉症の薬が少なくなっていて、そのダブルパンチで土日月に凄く影響でてました。まあ、必要なことではあるけど、いざその時がきたとしてぱっとはできなかったし、それをやる気力なんてわきませんわ。胸張ってできることでもやりたくてやったことでもないし、そもそもこんなこと慣れるようなことでもないし、慣れたいと思わないです。

喋れない問題

木曜くらいから、のどに違和感があって、ねばねば系の鼻水、感染症などを疑う状態で、声がおかしいことに気づいていました。一方で、この時点ではさほど咳が出るわけでもなかったので、外出する際は花粉症対策も兼ねてマスク着用で外に出ていましたが、土日になってから咳が出始め、喋るとせき込む状態で、上手くしゃべり辛い状態になりました。この状態をやり過ごすために、極力喋る必要のあることは避けるように動いたため、配信はできず、ブログにもあまり手が付きませんでした。自分が話題にした研究費の時も書きましたが、こういうデバフが地味に嫌で、パフォーマンスを落とされるから厄介に思います。土日を挟んでいたこともあり病院に行けず、なおかつ申請にも行けない状態で、薬なしで体力の回復を待つ必要があったので、それなりに大変でした。喋るだけじゃなく、ある程度体を動かしらりとか、人と関わるような場合は影響出るので、そこら辺を考えて立ち回る必要がでて、例えば引継ぎ関連の作業はほぼ停滞して、まったく薦められませんでした (二次感染を防ぐため、そちらに行くのを自重したため)。このような状態だと事業主状態だと収入に響いてくると思います。雇用されていれば有休という択がありますが、なくなってみるとやっぱりあってよかったと思います。

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2025年4月4日金曜日

負の感情にのまれず武器にする考え方を伝えます~自暴も自傷もせず心の声を押し殺さないための道標を送ろう

前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしました。これを読んだ知人から、「意外と冷静だね」とのコメントを頂きました。こんな状況になれば、怒り、不満、未練、やるせなさといった、いろんな負の感情がとめどなく湧き上がって押しつぶされそうになると普通は思うだろうし、実際私も例外ではありませんでした。しかし、私は自暴自棄に (自傷など) なってないし、鬱のような状態になって心を閉ざしてもないし、犯罪行為や誹謗中傷などで怒りをまき散らすこともなく、むしろポジティブな道を目指していると言えます。そんなことができるのは私の個人技が成せる結果だと思いますが、この投稿を読めば、ここでまとめる私の例を一例として知ることで、負の感情に飲み込まれそうになっている人が、明るい未来を目指すための道標になるかもしれないと思い、文章にまとめます。

HUNTER×HUNTER No.287より


負の感情を吐き出すか、抑えるか?

初めに結論から書くと、HUNTER×HUNTERのユピーがやったことを参考にした結果、負の感情を押し殺さず武器することができました。これだけでは意味不明だと思うので、これから文章で解説していきます。

私は研究室主催者の最終選考で落ちた結果、4/1に研究費と仕事を失った状態になりましたが、何度も書いてるので明確だと思いますが、私にとっては決して納得できるようなものじゃないし、未練とか怒りとか、不満とか、やるせなさとか、いろんなものがこみあげてきましたよ。ただ勝ちたいし、自分はこんなものじゃない、こんなところで終わってたまるか、と思ってましたし、今も思っています。ここで冷静に考えてみましょう。負の感情を周りにまき散らすことは、基本的にマイナスに働くことが多いです。そういう人間と近づきたいですか?一緒になにかしたいですか?NOですよね。明るく楽しい人と一緒にいたいでしょ?怒りにまみれているときより、ささやかなことで喜んだり笑ったりできる状態の方が基本的にパフォーマンスは高くなると思われます。そういうものです。ところが、負の感情を押し殺すことは今度は自分に悪影響を及ぼすことが多いです。たとえば生理的に無理だと思う人に、うわべの愛想を振る舞いながら、やりたくもないことを嫌々やらされたら、精神的に参るでしょ?この二つは一見両立しません。どちらかを取れば、どちらかは成り立たないように見えるでしょう。しかし、勝とうと思うなら、負の感情を押し殺さずに吐き出し、それを周りにまき散らさない意外の道はありません

銀魂 第六百五十五訓より


冷静に怒り狂え!怒りとは!!!!怒りとは撒き散らすものではなく、何かに向けるものなのだ!!!

ならばどうするか。まず一旦怒りなど、負の感情を吐き出しました。何が不満なのか?どうしたいのか?どうなって欲しかったのか。その先に何を求めていたのか。自分がその時感じた想いや感情に嘘はありません。隠したってにじみ出るものだし、抱え込むほど心を持っていかれます。私的には、ユピーのオーラの爆発みたいなイメージです。まずは心の内を一度ありのままに吐き出しましょう。自分の部屋とか、他の人がいない場所でいないタイミング等で一度吐き出しましょう。文章にすると、第三者視点でみれて頭が整理されるのでおススメです。私にとってブログはまさにそういう役割で、「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」がまさにそれでした。私の例では、研究の道で成功したい私が、こんなところで可能性を断たれるのが納得がいかなかった、だから負の感情が沸き上がったということですね。そして、吐き出して、どうしたいのかを自分の心に聞くことで、怒りとか、負の感情を一旦外に出します。そして、再構築をします。冷静になって、今の自分にできることを必死で思い返して、正攻法以外の方法も含めて、どうすれば何らかの形で自分が満たされるのかを考えます。私的には、ユピーが爆発経由で形態変化したみたいなイメージです。「適齢期は既に過ぎた者が、「研究業界の闇の深淵から」勝ちあがる道を探して」がそれにあたります。「『長く困難な道』の方から入って、元職の収入に頼れるうちにに壁をこわし『本当に行きたい道』の方に出る・・・確かにこれなら闇の深淵から適齢期内に脱出できる」、負の感情を外に出して冷静になった結果、健全に怒りをぶつける先が見つかりました。これで怒りや不満といった負の感情を全力で叩きつけることで、明るい未来につながる可能性が新たに見えてきます。その結果、負の感情を人でも社会やコミュニティに撒き散らす必要がなくなり、抱え込まずに全力でぶつけることがむしろ良い方向に繋がるようになり、自分を傷つける方法に向かう可能性が消えました。ほら、両立した。


これまで生きてきて自分が出会ったものを使おう

私はこの投稿を書いた時点ではまだ挑戦中の身で、これに関して結果をだしたわけではないので偉そうなことは言えませんが、負の感情に飲み込まれそうな人にアドバイスをするなら、自分が今まで生きてきた中で出会ったものを使おう」となります。私の中では「他人の能力を盗むスキル」といっているものとその延長で、仮に概念的なものであっても、何かしらの状況を打破するヒントになり得ると思います。私も、直近に漫画を読んだわけではないけど、なぜかHUNTER×HUNTERのユピーのセリフ、描写が頭に浮かんで、「そうか、これを試してみよう」と思いました。そのヒントが私ではない別の人は私と同じとは限りません。怒りを一旦外にだし、そして武器に変える、私の中ではユピーのイメージが特に近いと思いますが、イメージ的には別の例だとゲームのボスキャラが第二形態とかに変身するみたいなのにも近いものがありますが、ここら辺は感覚的なものなので、共有できる範囲は限られるかもしれません。また、イメージだと複数能力の同時使用的なことをしていて、それを統合して使おう的な方針なのですが、その方向だとヒロアカのAFOのイメージに近いなと思いました笑。AFOのイメージだと「感情を吐き出す」→「分析」×「コンサル」×「イメージの貼り付け」×「(狙い撃つ類の) 攻撃」×「創造」→「行動」といった順番とかけあわせで使ってるかな。なんにせよ、勝つためには、(ルールを守った上で) どんなものを使ってでも勝ってやろうと考えることは大切だと思います。

僕のヒーローアカデミア No.287より


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2025年4月3日木曜日

その選択を取れるのが羨ましいと言われ~自責でも他責でもないもの

前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしましたが、同じ業界の知人数名とこの話をしたとき、同情とか嘲笑があるのかな、と思ってましたが、私にとって意外なことに、「羨望: その選択を取れるのが羨ましい」という意見が多かったです。私としては、そんな風に思うんだと少し驚きました。

  • 同情こそすれど、明日は我が身だと自分事のように思って、とても笑いごとにできない。
  • 一般的に残された選択を、あまり魅力的だと思えない (ないしは魅力的な案件が偶然落ちていることが少なく、たまたま自分が引き当てられる保証が持てない) ことには激しく同意する。
  • それ以外の (自分が希望が持てる) 道を選べることが羨ましい、例え不完全なものであっても。
  • 先が見えない将来が不安だ。

例えばこんな感じの答えがありました。まず、今回の私のような状況になったら、まず生きること (自分以外の家族なども含めて) を、次に生活の水準をある程度以上上げること、次に何かを実現したりとか、何かを勝ち取ったり楽しんだりすることを目指すのだと思われます。しかし、人間はそんなに単純じゃなくて、頭ではわかっていても、簡単に気持ちの整理なんてできないと思います。理屈だけで割り切れるなら苦労しないでしょう、例え研究業界に進んだ高学歴な人たちであっても。そして、感情に捕らわれると、だいたい「自責」か「他責」に陥ると思います。

自責

  • 自分はダメだ (能力がない、環境が悪いetc)。
  • あのときこうしていれば (タラレバ)。
  • 自分は報われない等という諦め。
  • そこから付随して、やってもしょうがない。
その結果、自分の殻にこもるというか、外に出なくなる。出たくなくなる。関りを切りたくなる。

他責

  • アイツが悪い、アイツのせいでこうなった。
  • 制度が悪い、時代が悪い。
  • 運が悪かった。

その結果、他人を批判する。制度を変えようとする。何かを訴える。特に毒を吐いたりとか、悪く言う方向に動くことが多い印象。

傲慢のなれの果てに...

私がどちらにもなってないのは、自分が報われる未来にしか興味がないからです笑。自分を責めたら報われますか?→いいえ、もっと報われなくなると思います。他人を責めたら報われますか?→そういうことはあるかもしれませんが、時間がかかり割に合いません。という風に考えています。一言で言うと、傲慢なのでしょう笑。他人を変えるには時間がかかります。組織を変えるには更に時間がかかり、コミュニティを変えるにはもっと時間がかかり、社会を変えるにはそれ以上に時間がかかります。その時自分がやりたいことをできる立場にありますか?ということだけが重要だと私なら考えます。そして、他人を変えることができたとして、自分が報われないのであれば、私にはやる価値を見出せません。自分の屍で数万人を超える後に続く人を救うことに興味はなく、私は自分が一人報われるほうを選びます。現実問題、私の中では、私一人を成功させる道をただ探す方向が、他人や制度を変えるよりずっと早くシンプルに思うのです。ただシンプルに勝ちたい、生きたいと、けだもののごとく考えているようなものだと思います笑。それなりに追い詰められた局面で、謙虚さを発動して誰かに道を譲る優しさは、私には見いだせなかっただけのことです。私自身は、まるで哀れな乞食だなとでも思うこともありますが、どうやらそれが羨ましく見えることもあるんだなと。


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適齢期は既に過ぎた者が、「研究業界の闇の深淵から」勝ちあがる道を探して

前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしました。これをみて、「会社が倒産したとか、リストラされた人と似たような状況だろ、若いんだから頑張れ」などと思う人がいるかもしれませんね。プログなんぞで乞食のようなことをするな、もっと頑張れなど。客観的にみると、研究業界で今の私のような立場に置かれている人は、一般にはもっと深刻ですよ。ここでは私が発信などという方法にすがることになった業界の背景のようなものを紹介します。

HUNTER×HUNTER No.22


適齢期、年齢制限

(大学や研究機関といった) 研究業界とはいっても、分野や状況などによっては状況が異なりますが、適齢期のようなものとしては、35歳前後までに助教、45歳前後までに教授、せめて研究室主催者として独立している状態、くらいが一般的に思います。もちろん、例外もありますが。さて、私の状況をみてみると、現在38歳で、契約が切れて無職となっていますので、この時点でほぼ可能性はなくなってますね。

  • 在野の研究者でなどという考えもあると思われるかもしれませんが、実際経験したから分かったことですが、科研費といった国の助成金を受け取るためには、国が認定した研究機関 (大学や研究所など) に所属している必要があります。在野の場合は、基本的にはこの資格を満たせず、研究費を獲得したという実績がつくりにくい状態になります。無理やり同等のものをやろうとすると、それ相応に資金が必要になります。そして、このような機関に所属していなければ、論文 (研究業界の情報源) が入手できません。一応、論文は知り合いなどに頼んで入手したり、お金で買う方法があります。そして設備についても、自前で用意するのは大変です。研究資金、情報源、設備については、お金で解決することも可能ではありますが、全部やろうとするとそれなりの額が吹っ飛びます。これをやろうとすると、いきなりある程度余剰資金を持っている状態でなければ難しいでしょう。

私と似たような状況で、一般的な取り得る選択はこんなもん

  1. ワンチャン可能性に賭けて公募などに応募する。
    採否は必ずしも業績だけで決まるわけではないし、何が見られるかは採用元によって異なるので、もしかしたら可能性があるかもしれません。
  2. 任期付き職 (一般には研究員) を定年前後まで転々とする。
    これは研究自体は続けることができるはできますが、待遇があがることは考えにくいです。非常勤職であり、常勤職に比べて一般に給料が安く、手当等も少ないことが一般です。所属元の上司などの状況に左右されるので、上が定年になれば異動する必要が出るなど、外的要因の影響を受けやすく、不安定になりやすいです。海外でやろうとすると、ある程度以上の年齢になってしまえば実質片道切符で、そちらに骨を埋めるというか、二度と戻れない覚悟で行くような状態でしょう。若ければ次のチャンスがそれだけありますが、若くなければ地に足をつけて生活することを考えなければなりません。
  3. 常勤ではあるが研究をサポートする職に就く。
    技術職員のような職であったり、研究支援要員であったり、最近ではサイエンスコミュニケーターであったり、何かしら研究や科学とか学問全般と一般を繋ぐ部分に相当する役割が多いかもしれません。
  4. 研究関連の業界に転職する。
    経験が生きる可能性がある業界なので、転職するとしたらこのルートが一般には多いと思われます。一方で、企業等であっても研究関連のポジションは枠が少ないことが多く、分野によってマッチするしないがあるでしょう。例えば、有機化学は比較的枠があると思いますが、理論物理のような分野は枠が少ないと思われます。たまたま自分が探していた時に求人が出ているかといった、タイミングが重要に思います。
  5. 別の業界に転職する。
    別の業界は別の業界で、所謂中途採用ということになりますね。その業界で長く続けた人や、めぼしいスキルをもった人との競争になるでしょう。政治家とかになるのもある意味この枠に思います。
  6. 起業する。
    この選択は珍しいと思います。個々の状況によるので何とも。
  7. 家業を継ぐ
    家族、親族などで何かしら事業をしている場合、会社であろうが、農家であろうが何でも良いですが、家族が持っているものを引き継いだりする選択。これはそういう人が身近にいる場合に取れる選択ですね。
  8. 家庭に入る
    専業主婦、主夫になる選択です。既婚者であり、どちらかに収入がある場合はこの選択がとれるでしょう。
以上紹介して何が言いたいかというと、中途半端に通用して登れば上る程、上手くいかなかった場合に、研究で妥協して何かするのも、他の道に進むのも難しくなると思われます。ここら辺はあくまで私の認識ではありますが、現状とそんなにずれてはないと思います。

で、お前は発信をどうしたいの?

ここまでは一般の話、これからは私の話です。見るべきは統計のN (全体の傾向) ではなく、外れ値 (個) だと思います。やっぱり、研究の第一線でやりたかったし、こんなブログ書いてるくらいには未練タラタラですね笑。そうすると、今の私のすべきことは、何でも良いからお金を作ることだと思います。まずは生きなければなりません。生きるにはお金が必要です。ここまで紹介した中で、今私の持っている手札を見ると、研究の職は失ってしまったものの、投資家 (主に株)、発信 (ブログ及び配信) が残ってますね。そしてこの発信というカード、収益化できる状態にある。ならば、株だろうが失業保険だろうが何でも良いから少し浮かす (一定期間生存する) 状態を作り、ブログを稼働させよう、と考えました。一旦2の選択で任期付きの仕事をやる可能性は充分ありますが、その後の道を作るために、暇になった今ブログを触っておこうと思うのです。

  • さて、研究の業界をいったん離れてから戻るならば、ずっとやってきた人とは別の武器を持っていく方が望ましいですね。差別化のために。勝つためにな何か勝ち筋が必要です。そうすると、発信ってカードが使えると思いました。研究業界以外からもお金を引っ張ってくれば、取り込めるお金の期待値は研究だけを見た場合を上回ると思われます。これは市場の話で、ニッチな市場か、一般的な市場かという話と似ていると思います。
  • お金だけつくるのでしたら、例え苦労しても一度お金を作ることに集中して戻ることを考える人がいると思いますが、この選択は私は現実的に思いません。たとえば研究をサポートする側にの仕事については、[選択] 研究者のキャリアにうまくいかなかったら、サポートする人を目指す的な考え、私は200%受け入れない、で書きましたが、メンタルが壊れる、感情的に耐えれないと思います。感情を壊れたもう若くない奴に何ができるの?って思います。感情が壊れたらもう詰みでしょう。そうなれば、生きるための仕事にしがみつく選択くらいしか残らないでしょう。ある意味、夜職のような仕事を頑張るとか、複数の仕事をかけもつとか、マグロ漁船といった体は酷使するものの一定のお金を稼げるルートを選ぶのは、もう若くない今やるべき選択ではないと思います。心や体を壊したら、もうただ生きる以上を目指すのは難しいでしょう。そういう道に進みたいですか、と言われたら私は嫌です。勝ちたいから、心と体は意地でも守り通ります。

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少し浮かせて、壁を壊して近道をしたい

今はまだ配信で生活できるほどのお金が手に入ってないけど、早い段階で壁を壊せれば、近道に繋がっていると思うのです。やっぱり、遠回りなんてしたくないです。例え乞食のような振る舞いをしようと、勝ちたいものは勝ちたい。先がないと諦めた未来より、篝火のようなものであっても、先を期待できる何かへ向かいたい。それでこんな選択になりました。今回挿入したHUNTER×HUNTERのシーンのような状況、「『長く困難な道』の方から入って、元職の収入に頼れるうちにに壁をこわし『本当に行きたい道』の方に出る・・・確かにこれなら闇の深淵から適齢期内に脱出できる」。自分でやるのは癪ですが笑。


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2025年4月2日水曜日

感情を込める発信へ: 意図しない方向に曲解され、裏目に出る怖さを超えて

研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失った後のブログ投稿では、ある意味作風を変えて、ある意味感情を込めるというか、魂を乗せると言いますか、そういう人としての心の部分をねじ込む形が中心になるように切り替えました。元々、研究が本業だった時は、そこまでリスクを取らずに、ブログはついで的な感じで取り組みたかったです。表に出した情報が、第三者を経由して意図しない形で拡大され、それが裏目にでるのは私も正直怖かったですよ。

発信がもたらす怖さと不安

どんなにこちらが気を付けて発信しても、情報を解釈するのは他人です。その結果、「解釈」というフィルターがかかって、発信した側が意図した側とは違う意味が肉付けされてしまうことがあります。例えば、研究が本業だったころは、論文や特許のような形で公式に発表されていない研究内容の発信はしない (プレリリース的な投稿はしない)、機密情報は当然として、プライバシー等に係る情報は発信しないことを遵守してましたが、人によっては、ブログなどという媒体で少し何かを書くだけで、情報をダダ漏らしにしているように、「読みもしないうちに決めつけて」しまう人も一定数いると思います。文章の一部がどんな形で切り取られ、どんな風に使われるかはわかりません。そういうリスクをはらんだ行動だと思います。正直、多少なりとも不安はあって、本業ではないことを言い訳にしながらふわふわやっていました。

  • 誤った解釈、中でも自分に不利な解釈が伝わって変なイメージがつくかもしれない。
  • 伝聞のなかで更に曲解されて、猶更よからぬイメージを持たれるかもしれない。
  • その結果、研究をやる上でマイナスに働く可能性、最悪干されるかもしれない。
  • 突き抜けたら突き抜けたで、扱いにくい奴、というレッテルを張られ、それが不利に働くかもしれない。
  • 仮に私のブログが犯罪者に取り扱われたら、実際は何も関係なくても、私まで犯罪に関わっているようにみられるかもしれない。

未来を紡ぐために、感情を乗せる覚悟を決めた

このようなリスクがあったので、正直、これまでわざと中途半端にやってきました。もっと具体的に言えば、所謂バズるような投稿を避けるようにやってました。実験科学者としての仕事みたく、事実を淡々と描く形態、グルメや観光、考え方的なコンテンツのほぼ全てで、写真と言った第三者的にあるいみ客観的にみれるコンテンツを出して、解釈はそっちで勝手にしてね、的な方針でやることが多かったです。ところが、いろんなものを失い、このブログに再起、私の明るい未来への足掛かりを託すことを考えると、心の部分を乗せる覚悟を決める時がきたな、と思いました。そしてそれを乗せた結果、この前の二回分のコンテンツは、研究の世界を超えて広く一般に届き得る内容で、私の過去の投稿と比較すると、圧倒的にバズる可能性をもったコンテンツになった、逆に言えば後に引けないものを出してしまったなと、やってる側としても不安がありますよ。多くの人に見られるかもしれないコンテンツにしてしまうということは、それ相応にリスクを背負うことを意味すると自覚しています。コアなコンテンツに留めない場合、全く関係ない人に二次的、三次的に曲解されるリスクをはらんでいます。もし私を雇う人がいたら、こういうの書いた人を知ってて雇ったってことだよね、とその人らが言われる可能性をはらんでいると思います。実は失ったものの方が大きい可能性すらある行動に思います。

やらないで後悔より、やって後悔

それでも、私が興味があるのは私が報われる未来、私にとっての明るい未来です。その光明が少しでもあるなら、それに賭けてみたいと思います。定年と言われるような年齢まで任期付き研究員を転々としたり、研究をサポートする未来は正直嫌だし、実現可能性や具体的な形態はともかくとして、お金を集めて直接ボスになる道のほうが私には魅力的に思います。色々失った結果、犯罪などに走ったり、復讐に捕らわれる人、ふさぎ込む人もいると思います。自分もある意味そういう人らに似て、ガンギマリ状態にでもなっているかもしれないけれど、まだ自分の可能性に賭けようとしている点が違うのかなと。これまでも、ただ勝とうと可能性を信じて走ってきたつもりです。発信もまた、試行錯誤はあれど、その一つだと思います。自分の可能性にかけて、犯罪にならない方法で挑戦するなら、「やらないで後悔するより、やって後悔する」道の方が良いと思います。そのための道筋ならば、恥を捨てて乞食にもなりますよ笑

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[選択] 研究者のキャリアにうまくいかなかったら、サポートする人を目指す的な考え、私は200%受け入れない

爆弾発言二つ目、前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしましたが、それを読んだ人の中には、「研究の道でうまくいかないなら、研究する人をサポートする道を目指したら?」と考える人が一定数いると思いますが、それは私にはありえない選択だ、という話を書きます。そういう仕事をバカにしたり下に見たりしているのではなく、私にとってそういう選択は、「発狂しそうなくらい感情が爆発して仕事にならない」と思います。

良かれと思って、サポートする道を提案されることに対して。

現時点でこのような提案をされていませんが、仕事まで飛んだ私に対して、良かれと思って「研究の道でうまくいかないなら、研究する人をサポートする道を目指したら?」的な感じで、例えば技官 (技術職員、テクニシャン等) 等の仕事をしてみてはどうか、とかそういう仕事なら紹介してあげるよ、と声をかけられることはありそうだと思います。まず大前提として、研究をサポートする側の仕事をバカにしたり、下に見るつもりはありません。こういう人たちは研究に必要な人だし、自分が研究をしていた時もお世話になったし、一定のリスペクトもしています。給料が発生する時点で、その仕事は必要とされていますし、評価されていると思います。かつて研究をやっていた経験があるのならば、研究に何らかの形で携わったら良いのではないかって考え方。ある程度研究への理解はあるだろうし、マッチングも良いのではないかと思って、厚意から、こういう仕事もあるけどやってみたら的な感じとか、研究に何らかの形で携われるなら、別の形ではあっても研究で発散したら、などといった案件、基本的に全てお断りすると思います。そういう類の提案は私にとって、ある意味死体蹴りみたいな受け取り方になります。「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」に近い受け取り方になってしまうと思います。

能力的な適正云々関係なく、それをやると心が壊れるからダメ

サポートする道がなんで嫌かって言うとですね、自分はプレイヤーとして勝とう、上を目指そうと思ってやっていた側の人間なんですよね。実際できていたかはともかくとして、そういう想いをもってやってきたと。サポートする側の道って、研究には関わることができても、自身がプレイヤー側として関わってきた人やものに、「自分がプレイヤーとしては関われない」世界線でかかわっていくってことになるんですよね。例えば、技官であったら、研究の現場で実際に現場で手を動かすといったことはできるけど、自身の主導のプロジェクトを回す形ではなく、自分ではない誰かの考えたプロジェクトのある意味手足としての参画になると思うんです。漫画の世界で言えば、漫画家になりたいのであって、プロのアシスタントをやりたいわけじゃないって状態に近いでしょうか。他の例だと、高校野球で、選手としてある時までレギュラーで出ていた人が、ある時チームのためにベースコーチに入るとか、スコアラーだとか、ベンチでチームを鼓舞するとか、そういう役割をやってくれって言われる状況と似ているかなって思います。そういう役割は大切な役割だし、チームとして必要とされていると思います。だけど、私はこの状態で仮にチームを勝たせたとしても、一緒に喜べないって思います。その提案をされたら、私ならチームを辞めるとか、別の形で上を目指すとかを考えると思います。あくまでプレイヤー側としてやりたかった世界線を、目の前でそれを見せられながらも、自分が関われない現実を受け入れ、支える役割は私には耐えられません。その立場になったら、自分がありたかったこと、やりたいこと、それができないもどかしさ、怒り、いろんなものがこみ上げてくると思います。歌だと、ポルノグラフィティのアゲハ蝶とかが感情的には近いと思いますね。実際にやらなくても、考えるだけでものに八つ当たりしそうにな気持ちになるし、それを吐き出しても、押さえつけても、発狂しそうになるくらいいろんなものが出てきます。

選択はスペックではなく、心が決めるもの

私も含めて、感情がある一人の人間です。能力、適性、経験、そういったものはありますが、盤上の駒みたく、スペックだけで決めれるものではないと思います。能力的に向いていること、向いていない事は誰でもあるでしょう。それ以上に、納得ができるのか、満足ができるのかといった感情の要素の方が大きいと思います。能力的には向いていて、期待されていたとしても、心が受け入れられないことをやったら人は壊れてしまうと思うし、私もそうだと思います。だから私は研究をサポートする側の道に進む気持ちはありません。そんな優しい選択は、私にはできないと思います。やるなら自分が達成したいと思うから。サポートする側の人もそこに至るにはいろんな経緯があると思うし、自ら進んでその道に入った人もいると思います。そこについてどんな風に思うのかは個々に違うと思います。私のように考える人もいれば、そういう考え方はしない人もいます。どんな仕事をやるにせよ、成果をつくるためにはやりたくてそれをやっている人との競争になると思います。人間、結局は感情です。心を壊しながら走る人生の意味ってなんだって思います。人間に対しての采配に限ればね、感情を考えない采配ってね、基本的に勝てないと思いますし、なにかずれていると私は思います。

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2025年4月1日火曜日

[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました

4/1の投稿なので嘘であって欲しいのですが、タイトルは嘘ではありません。表題の通り、私は昨年末に某所で研究室主催者の選考が進み、最終選考で落選しました。その結果玉突きでいろんなものを失い、絶対に許せん、という気持ちです。不満や未練は尽きませんが、人生を諦めるつもりはありません。この怒りは勝つために叩きつけようと、私の切れるカードの中に発信があったので使ってみようと思った次第です。

  • 想定していた受け入れ先がブログとのマッチングが良くない可能性があったので、これまで投稿を控えていましたが、やめにします。
  • 所属元も私がうまく進む方向で協力してくれ、成功した場合にスムーズに移行できるように私の雇用契約が2025年の3月末で終了する形で進めていたことが裏目にでて、雇用を延長できず、なおかつ猶予1か月前後で次の職を探す形となりました。正直、寝耳に水です。
  • 1か月前後の猶予でゼロベースで研究ができる環境を探し、いくつか応募しましたが、4/1時点でどこにも採用されず、無職となりました。
  • 私は獲得していた研究費 (科研費) があったのですが、制度上研究費を受け入れ可能な研究機関に所属している必要があり、年内のどこかで1日でもそのような機関に所属していない場合、その研究費は廃止となるとの事です。結果、不本意ながら私の取得していた研究費を廃止にせざるを得ませんでした。
  • こんな形で研究を終えるとするなら、不満しかない。晴れやかな気持ちで去るとか、できるわけないだろと思います。

まず不満を吐き出す

成功失敗は結果論で、出た結果は覆すことはできないけど、内心「理解はできても納得はできない」状態です。研究費然り、不本意ながら自分が作ってきたものを自分の手で終わらせざるを得なくなり、怒りであったり、やるせなさであったりと、いろんなものがこみあげてきて、正直なかなか進めませんでした。やっぱり私も感情のある人間なので、この状態で淡々と前に進めるかって言われたら、できませんでした。「断腸の思い」というのはこういう状態なんですかね。自分の人生はこんなものだなんて認めたくないし、自分はダメだったみたいな一言で納得できるわけもないし、怒りとか、不満とか、そういう気持ちばかりがでてきます。頑張ったけどダメでしたとか、一生懸命やったことに意味があるだとか、そういう言葉をもらっても何の気休めにもならないです。勝てなっかった結果をもって、それでよかった等とは、この件に関しては絶対に思いません。

私が報われる未来にだけ興味あるので、犯罪とか〇〇キャンペーンはしない

怒りをぶつける先を強いてあげるなら「システム」だと思います。現状のシステムの中で、結果として私が貧乏くじを引く羽目になったといったところでしょうか。私の元所属先、強力してくれた方々、受けたところとその関係者、結果として競合することになった関係者が「私を陥れたか」と問われたら、違うと思います。私が興味があるのは私が報われる未来です。誰かを手にかけたり、あばれたりしたところで、私の欲しいものは手に入りません。じゃあシステムを変えるために何かをするか (例えば政治などに関わる) と聞かれたら、しません。システムが変わったところで、恩恵を受けるのは、後の世代の人たちです。後に続く人を何万人救おうと、感謝されようと、自分が一人報われなければそんなことをやる意味がないと私は思います。傷のなめ合いだとかお酒を含め、何かに逃げることにも興味ないです。それをやっても何も手に入らないので。勝ち取ることに興味があるのであって、宗教に深入りするといった精神政界の中で満たされる方向を目指す気がないです。私は自分の人生を諦めていないし、今諦めるつもりも腐るつもりもないです。

手元にに残るカードを振り返って

だとすると今の自分に何ができるのかを真剣に考えてました。どんなに能力があってもそれを発揮できる環境がないと何もできない、努力や才能より縁や運の方が強いと、修士のときの指導教官と上手くいかなかった経験を経て、常々思っていましたが、結果として再びそういう状態になってしまったと思います。戦時中といった生きるだけで精一杯と思しき状態ではないけど、健康な体と、安全な環境があるだけ、こんなもので何ができるのかと、一度自暴自棄っぽくなったときもありました。周りでだれかが成功を勝ち取る中で、ただ生きているだけで満足せよ?ふざけるなと思ってました。しかし、「健康な体はあり、決して能力を失ったわけではない」か、今の自分にまだ残っているものは何だろうと思ったとき、まがいなりにも発信者 (ブログと配信など)、投資家ではあったなと。そして偶然にもどれも収益をもらえる状態にはあったなと。発信者の世界を見渡せば、どうやら成功している人より、失敗した人や何かしら可哀そうな環境にある人のほうが、投げ銭だとか、見る側や聞く側の協力を得ていることが多いことに着目しました。ならば成功を掴む可能性に賭けて、このカードをきってみようと思った次第です。

今の私でも同情と嘲笑をもらえると思った。だからこの気持ちをこのブログに書こう。

ということで、応援よろしくお願いします笑。AIにある広告の最適化をしてもらったので、閲覧が事実上の投げ銭になります笑。


Q. 似たような境遇の人はこういう方向に...

A. 一般論 (前例や標準的な道、所謂統計のN値) の話をているのではなく、私 (特異点、統計の外れ値) の話をしています。他の誰が満足していようと、私の人生は私が納得する道を目指すものです。


Q. 思ってはいても黙っている方が得なんじゃないの?

A. もし、研究を続けようとした場合のキャリアの上振れが、「任期付き研究員を転々とする」やそれに似た形だとしたら、私は「それでは満足できない」と思います。もっと美味しいものを目指すには、この話をネタに使って賭けに出る方が良いと判断しました。現実問題、この投稿を書いている時点で私は38歳であり、学位取得後、標準28歳前後の人と競合する場所で同じように勝負するのは得策だと思いません。このようなことを書くことによって、雇用される際に何かしらのデメリットを受ける可能性と、吐き出した結果成功する際のリターン (資金を得て経営者になるルート) を天秤にかけたとき、出すほうが良い、と考えた次第です。


Q. 遅かれ早かれ、任期切れになるよね?ただそれがこのタイミングだっただけじゃないの?

A. 確かに元所属だと、どんなに延長できても所属元のトップが定年退職するときで、帰還だけを見ればさほど変わらないでしょうね。ただ、その日が分かっていて緩やかにそこに向野と、突然ぷっつり切れるのは違うと思います。


Q. 分相応だと思って受け入れたら?あなたの成果、実績だとまあそんなもんじゃないの?

A. 痛いご指摘です笑。正直実績だけを生真面目に評価すると、私は高い方だとは思いません。最も、成果や実績は下駄をはける要素ではあると思いますし、何をもって評価するにも変わってくると思われます。別に私は他の成果を出している人を否定しているわけではなく、何かしらの方法で自分が活躍するなにかを作りたいということです。自分はこんなものだと考えて、より小さい器でいきるつもりがないし、だれがが決めた「お前はこんなもの」という器では、私は満足できないということです。

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