2025年6月28日土曜日

エリートコースに乗っていないと思うなら、一旦独自路線で場所をつくるのが大事だと思う

前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしました。そこから給付を受けて、生活の資金がある程度確保できることになったので、次の職を探しつつ、ブログも含めてその他の活動をしていますが、SNS等、他の人の成功の話はどうしても目に入るし、逆に私以上に理不尽な目に合う人の話も耳にします。どうしても他人と比較になりがちになると思いますが、比較したとして、状況が変わるわけではないし、自分のメンタルを健全な状態に保つほうが大事だと思います。そうはいっても諦めとか妥協とかではなく、勝つための一手として、「独自路線で一定の立場を作る」ことがこういう時だからこそ働くと思います。

アイシールド21 325th downより

エリートコースを意識するかどうか

一般的に、何かをやろうとすると、所謂エリートコース、成功したらこういう風になるんだろうな的なレールがイメージつくと思います。~歳までに〇〇する (できなければ失敗、できれば成功) といったものもある意味その類でしょうか。目指すのはもちろん悪いことではないのですが、エリートコースを意識すると、必然的に順位付けをすると思うんですよね。〇〇という規格で評価すると自分は××より優れていて、△△より劣っているとか。競争と言い換えても良いかもしれません。さて、この比較に意味があるかどうか、というところを見ていくと、自分が正直集団の上位に乗っていて、トップ層を狙える位置にいる場合は競争を意識する意味があると思うのですが、自分が中位以下の序列にいる時は、集団の中の位置づけを意識しても優位に働かないと思うんですね。競争という土俵に乗るなら、上を取れる状態であれば走る意味があると思うし、下位に甘んじるのであれば上を取れないことがほぼ確定してしまうので、素直に上を取りに行く営みよりかは、いずれ競争に復帰するとしても、一旦別の路線から横付けする状態、あるいみショートカットを狙うのが勝ち筋なんじゃないかと思います。

競争に乗る事と諦めることは別

では競争に乗らなければダメか、というとそんなことはないと思います。エリートコース論を地で行くならですね、最初から最後まである程度以上の位置に位置付けてないとダメ、ということになってしまうのですが、勝利という観点からすると、途中経過で勝っていなくても後から抜かしてしまう方針、例えば10戦中9敗したとして、最後の1戦の比重が重いなら、最初9戦落としても最後の1戦とれば勝ちということもあるかもしれません。エリートコースに乗ってないと思ったら目指すべきは、こういう勝ち筋なんじゃないかな、と思います。良くあるのが、エリートコースに乗れなかったら、自分はダメだ (劣っている、弱い等) と自虐したり、運が悪かった、誰かのせいだと他責に走ったり、適当な何かに八つ当たりしてみたところで (酒だとか、~に逃げる的な方向もこの類でしょうか)、その先は明るくないと思います。下を向いたところで、良い方向に進むことはないでしょう。そうはいっても、上を目指していた人にとって、上を目指せない位置にいるのは好ましくない状態でしょう。こういうときは、一旦序列を度外視して、独自の立ち位置を確保するルートに一旦進むのが良いと思います (あきらめるとは別)。

独自ルートからの再創作

独自ルートとは、自分だからこそできる何かです。差別化ポイントです。要するに一芸で何か一つでも勝つことを目指す方向です。要するに一芸特化しておけば、仮にスタメンやレギュラーではないにせよ、試合にでれるチャンスはあるよ、ということです。はっきりいって、総合力で既にエリートコースを走っている側に負けていると考えられている人らと、同じ規格で勝負したとして、平等にチャンスがこない (一般にエリートコース側だけにチャンスがくる) と思います。平均型で丸い特性の控えをレギュラーで使うかってい言えば、使わないでしょう。それだったら一転特化の方がピンポイントですら出れる機会があると思います。ますはピンポイントでいいから出ることが大事だと思います。どんなに優秀であっても、その能力を発揮する機会がなければ、評価されることはないと思うし、評価するのは他人なので、自分 (やその仲間) だけが価値を知っていたとして、それだけだと周りに適切に評価されないと思います。そして、一芸でいいから活路をつくることができるなら、エリートコース路線の競争に乗り入れるチャンスがくることもあると思います。ピンポイントで控えで入ったことで評価され、レギュラーに成り代わる的な路線でしょうか。別にその一芸が、自分がやりたい何かで必要とされているものでなくても良くて、活路をつくれるなら何でも良いと思います。とにかく起点にできれば良い。そのためには何でも良いから起点が必要です。人生で別の道に進むとしても、一旦別ルート経由で入って、じつはこっちが良かった的な方向転換で道を変えるのが良いと思います。とりあえず序列云々は一旦度外視して、自分にしかできない何かで足場を硬めに行くのが初手でしょう。その足場があれば、仮にエリートコースに横入れすることになったとしても戦える武器ができているはずです。逆に中途半端に順位だけ見ても振り回されるだけになってしまうと思います (上位にいれば順位みることがプラスに働き得ると思います)。勝ちたいなら見据えるべきはライバルではなくゴールだと思います。私にとっては、ブログや株取引といったものも立派なカードだと思います。何をしたら勝つ (目的を達成) するのか。そのために何を経由すれば良いのかをしっかり見続けることが大事に思います。そのゴールというものが、エリートコース的な競争と一致するのか、それとも違うのか、どれくらいかするのか、ちゃんと自分で考えていることが大事だと思います。序列だけに意識をとられると、往々にしてゴールとは違う遠回りしがちなので、前のやつの影が見えなくても、ゴールだけみて進めばそのうちある程度抜かしていることもありがちに思います。現実問題、先行している側が進んだ後、後続側の取り得る経路が先攻勢とは別のところから追う方が有利になることも良くあるとこだし、先行する側の立場では、後続が同じルートで追ってくるとは限らないことをケアする印象でしょうかね。

2025年5月13日火曜日

使えるものは使う~失業保険適用につき、職探ししつつブログを育てつつ運用もします

前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしました。そこから給付を受けて、生活の資金がある程度確保できることになったので、次の職を探しつつ、ブログ等の発信系を育てながら、運用で金策を狙えればと思います。あくまで、金策は手段であって目的ではないので、私はそこを間違えて失敗するようなヘマをしないと思います。こういうくだりをやるその心は、プライドを捨ててでも勝利が欲しいということです笑。

失業保険申請

先日、権利ではあるので嫌々ではあるけど、失業保険の申請にいって手続きを進めた結果、無事お金がもらえることになりました。所謂失業期間とよばれて、その期間に定期的にハローワークに手続きに通う必要があるものの、ある程度の給付が受けられます。制度上、これの適用を受けている間に、例えばアルバイトやウーバーイーツのような方法で隙間時間にお金を稼ごうとすると、給付ぶんが減額される可能性があるので、給付を受けている期間は本命のとろころに採用されるまでは働かないほうがメリットがあると思います。また、起業したり、家族の事業を継承した場合、給付自体がされなくなる可能性が高いです。失業期間中には、たとえボランティアのようなアクティビティであっても、労働に近い状態であれば、金銭の給付がなくても申請が必要で、今回、確認をとったところ、「ブログは申請が必要」「株と不動産は申請は不要」との事でした。ブログについては、現時点でほぼ毎日収入が発生しており、1日1円以上の収益があるので、申請は必要ですが、まだ金額がすくないので、その分を申請したところ、給付金の金額はされませんでした。そして、このブログは仕事ではないし、趣味でやっているものですが、育てれば収益も馬鹿にならないと思うので、この機会に育てていこうと思います。

ブログを含め、手段としての金策へ

このブログをやった先に見ている出口の一つとして、研究室主催者を目指すルートを見ています。現時点でブログは発展途上であって、決して現時点で想定したルートを手中に収めていません。ですが、金策であったり、縁をつくるという意味では、目的達成のための手段たり得ます。

あくまで、ブログは手段であって目的でありません。この区別はめちゃくちゃ大事だと思っていて、何かを達成したければ、手段と目的を混同して堂々巡りして達成しなくなると思っています。

注目されたり称賛されたいのではない、私は勝利が欲しい

称讃や注目、要するにカッコつけたいのであれば、「職を失いました」「失業保険を受けてます」みたいな内容は、今自分がその渦中にいるときには書かないでしょうね笑。この状態を晒すのは、体裁を気にする人であれば「恥を晒している」状態で、ある程度軌道に乗ってから、実はあの時大変だったんだよって言う方がカッコつくと思います。私が欲しいのはそこじゃないんですね。どんなにカッコつけても、欲しいものが手に入らなければ意味がないし、妄想の中で大きな顔をしてもむなしく思うし、そんなことに時間を使いたくありません。

欲しいものを手に入れたい。勝ちたい。それだけです。妄想に浸るとか、他人に八つ当たりをしたり、マウントをとるとか、傷のなめあいとか、そういうのは私が欲しい成果に向かう行動ではないし、楽しくないので優先度が低いです。前進しない時間は楽しいこと等、自分が満たされることがしたいです。株式投資、不動産、配信、ブログも含め、持っているものを全て使って勝ちにいくつもりです。撮影した写真だったり、体験やどこかで話したことなど、これまで思ってもみなかったものが役に立つかもしれません。どういう経緯であれ、私の手にあるカードは使うことができると考え、あらゆる組み合わせで使っていくつもりです。少なくとも、職を失う前の枠組みの中にいたときは必要がなかったことで、今はあえてこの状況を活用すべく、引き出しを見ています。当然、私が勝つことが大事なので、持っているカードを見せて自慢するとかには興味がないし、合わせ技で他人のプライドを傷つけることがあっても、躊躇せず進みます。こういうことを書いて、実際に失敗したら更にカッコつきませんが、欲しいものを手に入れたくば、恥をすてて飛び込んだほうが良い、というのが私の判断です。


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2025年5月6日火曜日

池泉牡丹@由志園2024、日本庭園×牡丹

 ゴールデンウィークに地元に帰省していて、家族と由志園に行ってきました。由志園では、ゴールデンウィーク期間に「池泉牡丹」といって、農家らが苗を育てるために摘んだ (本来破棄される) 牡丹の花で日本庭園を飾るイベントが行われています。昨年も行ってきましたが、今年もキレイで見ごたえがあって良かったです。気候も良く、良いリフレッシュになりました。




写真スポットの池に浮かぶ牡丹

鯉がたそがれていた笑
青もみじ
牡丹番付の投票。相撲みたいな番付が投票できまるとの事。中には「霞が関」とか「白鵬」といった名前の銘柄があって驚き。






販売コーナー


つつじもみごろ
池を眺めて

入口


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2025年4月27日日曜日

威圧する指導は悪手~「年長者が舐められる典型例」~満員電車で膝蹴りしてきたオッサンを私があしらった一件

最近私が満員電車に乗ったとき、たまたまぶつかってきた自分より年上のオッサンに膝蹴りされ、それをあしらったことがありました。この例は「年長者が舐められる例」としてピッタリだと思ってブログで紹介します。私は特に人と関わる時、人にランク付けしたり序列つけたりしないで関わることが多いですが、それでもこの例ででてくるおっさんのようなことをされた場合は呆れます 。

HUNTER X HUNTER  No.264より

満員電車でぶつかったら膝入れてきたオッサンが、まさに大人が舐められる典型だと思った

先日、満員電車に乗っていて、私は立っている時、電車が揺れて(明かに私より年上に見える) 白髪の細めのおっさんにぶつかったんですね。そのおっさんは座っていて、うとうとしてる感じで、私がぶつかるとあからさまに舌打ちされました。こういう態度とってくる奴にこの段階で謝るなどの下手にでる行動とるのは悪手 (イジメられる側がやる傾向がある行動) だと思うので、特に反応せず、そいつと目を合わせてしっかり見るようにしてました。そのうち電車が揺れて二度目にぶつかると、また舌打ちしてきて、また揺れて三回目にぶつかったとき、舌打ちから膝蹴りしてきたんですね。これは下手にでたらいかんなと思って、「なにお前?」っておっさんにいいながら、しっかり目を合わせて顔をガン見しながら、おっさん方向に一歩前進してオッサンを真正面に向かう位置にポジション取りします。これで勝負あり、というか格付け完了。以降おっさんは私と目を合わせなくなったし、体制を崩してその後おっさんの足を (ワザとではありませんが) 踏んづけることもありましたが、おっさんは舌打ちしたりせず、おっさんが足を退けました。この一連のやり取り、年長者が年少者に舐められる行動の典型だなと思思いました。些細なことで、さほど意識しないことも多いかもしれないけど、このおっさんの状態を客観的に言語化すると、「舐められてしまった」ことになります。

このおっさんに対して相対的に若い私が思ったことを言語化

ここで説明のために、相対的に若い私が、相対的に年上であるこのおっさんに対して思っていたことをあえて言語化してみます。

  1. 舌打ちの段階で「何コイツ?」
    まず、満員電車で他の人にぶつかるのは、特に珍しいことではないです。電車が揺れれば、距離が密集していれば近くの人にあたることもあるでしょう。それくらいのことで舌打ちする等、不機嫌な態度をしてくる段階で、「コイツ頭がおかしい」「自分勝手すぎる?」「所謂DQN」という印象受けました。威圧したりとかゴネたりとかで、自分の思うようにコントロールするとか、そういう臭いを感じました。そこで、「私はお前の思う通りにはならないよ」って態度とって、これ以上つけあがらせないようにしようと考えて、舌打ちしてきた後しっかり目を合わせにいきました。
  2. 膝蹴りをした段階で、生き物として下に見た
    まず膝蹴りしてきた時点で、「何コイツ?」って呆れます。更に、見た目が10歳以上年上で、自分より体格に劣るオッサン (爺さんという方が近いか) が暴力をふるってきた。仮に暴れたところで、たぶんこのおっさんに私は倒されないと思うので、「何がしたいの?」と思いました。この状況、私側からは負け筋が見えないので「全く怖くない」です。これで明確に舐めました。特に意識してないけど、あえて言語化すると「バカかコイツ」と思って呆れました。「いったいお前は何をやりたいんだ?暴力で有利がとれるとでも思うのか?バカか?」と思いました。
  3. これまでの言動を総括して、人間として下に見た
    ここまでこのおっさんがやってきたことは、肩がぶつかったチンピラが喧嘩腰で凄んでいるような印象です。これを若い時期にやるならそれほどおかしなことではないと思うのですが、過去にどうだったかは別として、ある程度年齢を重ねると、丸くなるというか、見ず知らずの他人を公共の場で威圧するみたいな行動ってやらなくなるとおもうんですよね。私より明らかに長く生きて人生経験を重ねているであろうおっさんが、中高生の不良やチンピラ紛いのことをしている姿を見せられているので幻滅しますね。「いつまでこんなことをしてるの?」「精神的に成長していないの?」って思います。嫌な表現すると、「無能感」をこのおっさんから感じます。

これらの印象から持つ印象は「何コイツ、痛すぎる」です。イジメられ体質というか、真面目で気弱な人の場合は、こうして凄まれるとごめんなさいと言ってしまう傾向があり、凄むことで押し通せる場合もありますが、私のような (いじられることはあるが) イジメられにくい体質の人にやったら逆効果で、しかも公共の場でやってしまったので、このおっさんはある意味恥を晒された状態になったと思います。もしこのおっさんが舐められている状況が気に入らなくて、凄むとか、怖がられるとか、そういう方法でアプローチすればするほど (こちら側に負け筋がないので何をするでもなく自然と) 恥をかかされて (私以外の人からも) 舐められます。嫌な表現をすると、ライオンが飛んでくる小蠅をそもそも相手にしない的な状態でしょうか。

私は年下に指導するとき、威圧系の指導をしないようにめちゃくちゃ気を付けている

このおっさんから学べることはですね、「自分が年上や目上の立場の時、年下や目下にこのおっさんみたいなことをやると、舐められる」ってことですね。こういうことは元々感覚的に思っていました。部下、後輩、学生指導といった、年下を相手にする時、威圧系の指導をしないようにめちゃくちゃ気をつけてます。例えば以下のような行動をしないようにしています。

  • 威圧
    怒るとか怒鳴るとか、「私は怖いぞ」と思わせることを意図した行動全般をやらないし、そう見える言動を避けます。大人だと体力勝負したら一般に若い方が有利です。凄んだところで怖いと思わないでしょう。
  • チンピラ風の立ち振る舞い
    自分が恐れられているとか、恐れさせようとする行動全般をやらないし、そう捉えられそうな行動を避けます。その手の行動をしたとして、(何か弱みでも握っているとかでないと) 目下だからといって、相手がこちらの顔色をうかがいびくびくしなけらばならない理由がないと思います。年上や肩書が上なだけで、それをダシに「おれのほうがお前より偉い」といってしまうと「こいつは人の事をみていない、人のことを見れない」と思われてしまい、かえって距離を取られると思います。

逆になめられたくなければ、何をしたらいいかというとですね、「大人は背中で語れ」と思います。例えばやって見せるとか、一生懸命仕事とか頑張る姿勢を見せるとか。凄いと思われたいなら、凄いと思われるだけの何かをする必要があると思うし、尊敬されたければ尊敬に値する何かをする必要があります。長い努力を続けた先にある大変な道です。それをやらないで「言葉や暴力で威圧」している状態は、中身がないと自分で言っているようなものだと思います。一社会人として、「喧嘩の強さ」「やんちゃしてます」みたいな指標は、人として尊重されるかどうかには無関係なことがほとんどで、ある程度の年を重ねてからその人の価値を決める指標にならないと思います (格闘技をやっているとか、エンターテイナーだとか、特殊な例の場合は、この限りではないと思いますが)。そういう行動をやればやるだけ舐められると思います。今回話題にしたおっさんに対してチンピラっぽく返すなら「楽な方に逃げてんじゃねぇカス」になると思います。

宇宙兄弟  第190話より


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2025年4月22日火曜日

失業保険の申請、この時の自分のような人を助けて研究室主催者なる道を着想

前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしました。そして、先日、権利ではあるので嫌々ではあるけど、失業保険の申請にいって手続きを進めました。その中で、私のような立場になった中堅どころの生活を短期間支えることができれば、研究室主催者 (業界的にはPI) とほぼ同じことができそうだと着想しました。そして、このブログから連なるルートにその可能性があると思うので紹介しましょう。

失業保険申請

先日、ハローワークへ行き、失業保険の申請をしてきました。正直ここに行くのもいやだったし、気持ちが進みませんでした。ハローワークの人の対応は丁寧だったし、他の人に不快なことをされたわけではありませんが、今私が仕事についていない状態でここにくるというか、はじき出されているような事実に目を向けるのが凄く不快でした。失業保険の申請ができるということは、現時点まではブログについては事業として成立していないということになります笑。失業保険なので、仕事をしているときに比べたら入ってくるお金は少なくなるので、生活の質を下げる必要が出ると思います。なんにせよ、まがいなりにも180日間は失業保険でお金がでることになるので、権利は権利、使えるものは全て使って、何としても生きてやると思います。

公募戦士

現在の私の状況としては、失業保険で食いつなぎつつ、研究業界の公募に応募するといった形態ですね。俗に「公募戦士」などと言われてるような形態です。このような形態では、任期があと〇〇だから、より条件の良い職を探したい等といった理由で在職中に応募していくことも多々ありますが、現在の私のように、現職を失い、そして次を探す意図でこのようなやり方をとっている方もおられるでしょう。正直、この立場になりたくてなったわけではないですが、なってみて見えたことがあります。今の自分のような立場の人を救済できれば、私は既存の方法とは別のやり方で独立できると元々思っていたのですが、具体的なビジョンが描けました。

大学教員の研究指導と比較して

過去の投稿でも紹介しましたが、学術研究としての研究をやるということなら、例えば大学の教員があてはまります。大学の場合は、多くの場合は、チームの主戦力は学生です。教員はプロジェクトリーダーや監督的な役割を担うことが多く、現場で手を動かすのは学生が担っていることが多いです。例えば私が所属していた京都大学のような「所謂研究で中心的な役割を担うことが多い大学」の場合 (理工系の場合)、所属した学生の多くが学部学生を卒業した後、大学院の修士課程に進み、更にその一部は定期的に博士課程に進学することが多いです。また、研究員や研究補佐員といった、お金で雇われて研究に携わったり、そのサポートをする人が在籍している場合があります。その一方で、研究で中心的な役割になることが少ない大学の場合、学生は大学院に進まず就職することが多いです。研究は大学の学部学生の4年、早いところは3年あたりから始めることが多く、大学院に進まないのであれば、4年生の頭くらいに就職活動、卒業前後で卒業論文の執筆に時間をとられることが多いです。また、学部4年や3年では、大学の部活等に属している場合、大きな大会を最上級生として迎える可能性があります。その他、研究以外の他の実習や授業等 (単位を落としている場合特に)、バイトや長期旅行といった、学生時代の自由に使える時間を活かせる活動などに時間を費やすこともあるでしょう。そうすると、院進しない学生がまともに研究に充てられる時間は、せいぜい半年あるかないか、といったところでしょうか。当然、研究のイロハをしらない人たちが入ってくるので、基礎から指導することがほとんどなので、一通り覚えるだけでも2か月とか、それくらいは使うのではないかと思います (こういった部分を教える、指導するのは大学が研究教育機関である要素に思います)。以上を踏まえると、院進しない学生の実質稼働時間は4か月前後と考えて良いでしょう。つまり、4か月稼働する人がいれば、たぶん大学教員が (院進しない) 学生と行う研究とほぼ同じことができそうだ、と思いました (そして、大規模にやりたければ、スケールアップすれば良いという事)。これで過去に投稿していた内容を踏まえて、もっと具体的な計画が浮かびました。

トレーダー×経営者、中堅が投げ売りされている感

さて、現時点の私のような年齢は、若手~中堅にあたると思います。そして、研究の業界でプレミアがつきやすいのは、一般に「若手」「エリート」「重鎮 (成功者)」になります。多くの場合、このカテゴリに分類される層にお金等のリソースが集まりやすいのが実情としてあります。一方で、ある程度年齢が進むに従って枠が狭くなっていき、その枠にあふれてしまう人も現実として存在します。私もまさにその枠にあふれた人の一人です。だからといって「落第とか、最初から可能性がなかった」などとは思いませんし、他のあふれた人が能力がないとも思いません。選ばれた側の人が実際に素晴らしいこともありますが、選ばれなかった側と比べて別格に優れていたかと言われたら、必ずしもそうなってないと思います。私自身、こうしてあの手この手でカードを切って抗っていますが、正直、コネだとかもっと楽な方法で選ばれるならそっちの方がずっと良かったと思っています。難しい道や他の人が進めない道に進めるのは、もしかしたら能力や才能が成せることかもしれませんが、そんなものよりもっと楽に立場をくれよと正直思いますよ。ここで投資という視点に変えれば、「若手」、「エリート」、「重鎮」と言われるカテゴリは投資されやすく (プレミアがついている状態で)、中堅どころのカテゴリは (上記3つののカテゴリに当てはまらい場合) 投資を受けにくいと思われます。投資先としてのプレミアという観点でみれば、研究業界の中堅どころの人材の給料や待遇は、上がりにくい傾向があるのではないかと思います。一方で、中堅どころは技術や能力をもっていて、実質仕事として中心的な役割をになっている割に、相対的に立ち位置が低い場合が多い傾向がある印象を受けます。ならば、あふれた中堅人材を一時的に助けることができたら研究が成立すると思いました。そんな人がどれくらいいるかということですが、表には出ないだけで、一定数起こっていると思いますね、これ。その状況になった身で言えば、私だって公言したくなかったし (それでも収益をとれる可能性に賭けて公言する方に進んだけど、それはそれでいろいろ覚悟が必要だった)。

ONE PIECE 第528話より

短期トレード×動画配信卓→中堅の短期保有 

研究初心者の大学の学部学生の1年分、実働時間4~6か月で作れる成果であれば、実力が充分の中堅が (片手間であっても) もっと短い期間で達成できる可能性が高いと思います。つまり、失業保険期間以内で充分だと。例えば、任期がきれた中堅どころが一時的に所属できて、科研費等の研究費の受け入れ要件を満たす機関となっていれば、研究費は死なない。私のように、自分の研究費を廃止にするような選択肢をとらなくても良くなると思います。その期間に次の仕事を見つける手続きをしながら、つなぎ期間に私のプロジェクトをやってもらえば良いと思います。そのちょっとした繋ぎの間に、生活は保障するからちょっとだけここで手を動かしてくれ、といった形で充分事足りると思いました。株式投資でいうところの短期保有といった形の形態で、こういう方針なら育てる必要がないので研修にさほど時間はかからないでしょう。自分の行きたい未来にはばたくための踏み台につかってくれればそれで良いと割り切ります。業界に文句や不満を言うのではなく、カバーできていない部分を埋めればよいという考えです。次を見つける気持ちがなく、私の下で力を発揮したいという人がいるのなら、それはそれで良いでしょう。こういう場合は長期保有という形になるでしょう。ここで短期保有ということで、例えば履歴書や面接にでてこない「人となり」、「技術」や「現場力」といった能力をこちらの管轄下であれば記録できるのではないかと思いました。例えばゲームの大会などでは、配信卓だとかでその内容が配信される場合があり、そのプレイヤーの魅力を伝えるのに有用だと思いました。研究でも似たようなことをして、それを有料で販売すれば、それはそれでビジネスにできるかもと着目しました。履歴書などの応募書類と面接だけでは見えてこない部分があり、それを一部であっても伝えることは使いようがありそうだなと思います。安く買って高く売るのが投資の基本です。はじき出された中堅は実質バーゲンセール状態、そういう人の生活を一時的に繋ぎ止め、研究業界に価値のある人材として提供する (高く売る) ことができれば、いずれの当事者の視点で見ても利益になると思います。

能力の掛け合わせに活路を見出す

今回より具体的にプランを整理したことで、後何を満たせば実現できるかが、より明確になりました。私の場合、正直人より持っている能力のレパートリーがあり、それを掛け合わせることが活路になると思います。その証拠に、ここで書いたプラン、他に実行している人がいなさそうだと思います。やっていれば、SNS等でそれが伝わってくるはずですからね。トレーダーとして、一応不動産の経営者って顔も持っている私だからこそ着想もするし、実際に挑戦しようと考えるのでしょう。アイディアを盗みたくば持っていくがよいと思います (研究で何やるか自体は書けませんけどね笑: 研究の話をブログで書かない )。余談ですが、掛け合わせで漫画とかで例をいくるか見てたら、ヒロアカのAFOの掛け合わせのイメージ、説明に使えそうで面白いなと思ってて、単なる悪役ではなく「これは僕が最高の魔王になるまでの物語だ」っていう表現してるのも良いなと。これ、使わせてもらいましょう笑。能臣になると認めてもらえないならば、奸雄を取りに行きましょう。なんだかんだで、私も男の子ですからね笑。

僕のヒーローアカデミア No.287より

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2025年4月9日水曜日

研究の話をブログで書かない

前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしました。これまでも、私は研究の話をこのブログではほとんど書いていないし、書いていたとしても、過去に論文など、正式な方法で公になった後に書いています。これについて、特に事業に携わってこられた方などは、「ブログを使うなら、やろうとしていることを書いて出資を募りなよ」などと考えられる場合があり、「それはさほど難しくないでしょ、終わり」、という程度の印象に伝わってしまう場合があるので、その考え方はできないというか、やりたくないことをここでは書きます。研究関連の方にとっても、ぺらぺら余計なことをここで書いているわけじゃないと伝えられると思います。

前提として、事業としての研究と、学術研究は別物

研究、という単語を使えば似たようなものかと言えばそうではなくて、企業などが事業として行う研究と、大学などの研究機関で行われる学術研究は別物、ということです。めざしている方向性が根本から異なるため、アウトプット、つまりはめざす成果物の形が異なり、そして、それによって、出資側に自分たちがやりたいことをどう伝えるか、というのも異なってきます (企業でも学術論文や特許などのようなアウトプットを目指すこともありますが、その場合でも基本的には最終到達地点は利益となります)。大雑把に言えば、事業であればあくまで「利益」を目指すことがゴールで、学術研究は「新規性の証明」を目指します。ここから少し詳しく触れます。

事業としての研究の場合

研究であっても、あくまで「事業」というからには、「経済活動」の一環です。その団体が潤い、所属する者たちが食べれるような形に繋げる必要があります。従って、紆余曲折があっても、目指すべき成果は「利益」となります。もちろん、社会貢献等を通じてめぐってくるものという考え方もありますが、身銭だけきって自分達が生きられないのでは話になりません。利益といっても利益という形の成果物が実在しているというわけではなく、何らかの形で利益につながることが重要になります。例えば以下のようになります。

  • 製品: 具体的な製品を生み出し、販売することで利益を得る。
  • 発明: 製品としてのアウトプットでなくとも、その一部の要素を作ることで、将来的に優位性を取れ、それが利益につながる。概念的に新しい何かを生み出せば新しい市場が生まれるわけで、その結果として利益になる。
  • 開発: 製品として利益を生み出せるかはともかく、何かしらのアプローチを行い、そこから何かしらの知見が得ることを目指す枠組み全般こちらで良いと思う。例えば、今の設備のままでは○〇が足りず、××を補うことで△△に近づくといったことも大事な成果。
  • 特許: 知的財産としての所有権を示す。これによって、使用料を得る等で収益になるし、宣伝等にも生かすことができる。ベンチャー等では、特許を持っている (実質占有している) 状態で事業を始めることが多い。
  • 優位性: たとえば、○〇に携わった結果、構成員の××の技術が高まり、業界のなかで優位な立場になるなど、必ずしも、物や概念、知的財産のどれも得られなかったとしても、経験値などの副産物で結果として競合先に対して有利に立てるのであれば、それは利益として見て良い。長い目でみた結果、利益をもたらす営みに貢献できたかどうかが重要。

その利益を生み出す営みですが、事業として行う場合は自分達で出資する場合、外部の出資を頼る場合など、多少の差異はあれど、基本的には「出資側にそれを説明し、お金を出してもらう」ことでスタートすることがほとんどになります。出資側としては、外部だと、銀行などの金融機関、投資家 (団体)、株式市場に上場すれば一般投資家をはじめとした市場全般が出資側となります。出資側が求めているのは基本的に「見返り」、すなわち、「出した分以上のリターンがあるのか」ということになります。それを評価するために、出資を受ける側は事業について説明し、特にその利益や将来性の話をし、対して出資する側はそれを評価したうえで出資に値するか否かを判断します。この意味で、事業としてやるのであれば、何をやりたいか、そしてどんな成果が得られそうか、という情報は研究であっても基本的に外に出すものとなります。もし私が研究としてやりたいものが「事業」であるなら「何をやるつもりで、どんな成果を得られそうか」というのを書いて応援者を募るべし、というのが事業サイドから見た場合の考え方です。

学術研究の場合

学術研究の場合、いってみればB to Bビジネスとしての研究ということになります。ここでは「学術的に新しい」ことが前提として求められ、それをデータ等で客観的に示すために使われるフォーマットが、多くの場合は (学術) 論文、特許となります (更に言えば、学術的に新しいことに加えて、どんな価値があり、どれだけ意義があると思われるかというところでその成果物に価値が付きます)。これは、研究のプロによる研究のプロのための発信として、同業者や業界に評価されることが重要であるともとれます。また、論文などの成果物を出した段階では、製品等、一般大衆や市場に届く形になっていないことが大半であり、評価者のその時点で見込まれた価値がのっており、実際にそれが未来にもたらす価値とは必ずしも一致しない場合があります。学術的な研究の場合は、あるいみ教科書を書き換えるようなもので、その発見、発明をしたのは誰かと、起源主張することに意味があります (起源主張が通らなければ、論文や特許といった学術的な成果物として認められません)。起源主張したいということは、ホームページなどで一般公開する場合は、何をするつもりかを明かして (潜在的な競合相手となる) 同業者にアイディアを見せることは悪手ということになります。従って、研究計画書等を提出し、研究資金などを調達する場合など、一部の例を除いて、将来的に何がしたいかについて、出さないことが基本で、出してもお茶を濁すことが一般的になります。学術研究の場合、新しいことを見つけて起源主張する (証明する) 営みになりますが、この活動は、短期的に利益をもたらす活動ではなく、政府といった公的機関や、財団などに支えられている場合が多いです。長い目で見れば国益になる可能性があるとか、そういう方向性となります。

で、おまえはどっちよ、というのが答え

これまで私が研究業界でやってきた研究は学術研究です。そして、私一人ではなく、いろんな協力者がいて成り立っているものであり、私一人の一存で方向性をころころかえるようなものではありません。これまでやってきた研究が、利益追求を目指したものでないのであれば、ブログのような場所で資金を募るような方向性の出し方をするのは不適切、というのが私の見解です。仮にやったとすると、過去に協力して研究してきた方々に対する裏切りといいいますか、そういう人らの利益を損ねる行動となる可能性が極めて高く、私にはそれをやるメリットがないと判断しています。そこでこのブログでは、別の形、例えば広告等を活用する形態をとっています。もしかしたら誰かの役に立つかもと思う視点としては、学術研究をそもまま事業としての研究に移行できるわけではないし、その逆もないと思うよと言うことです。それぞれ別のものなので、移行したいなら改めて0ベースで骨格から考え直すのが良いと思います。こういうの書けるのはなんでかと言えば、両方 (片方は触る程度だが) 経験している上で、勝ち筋を見続けているから。勝つためには、勝ち筋を増やし、負け筋を減らすことが大切になるけれど、今回の投稿で書いていることをはき違えた場合、明確な負け筋になると考えています。

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保険証つくれない問題に直面~花粉症とコロナと思しき風邪のダブルパンチで身動き取れず

前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしました。前の職場を離職した結果保険証を返却しているので、現在私は保険証を持っていない状態ですが、そこに対して何かしらのアプローチをするのが難しい状況でした。似たような境遇になる人がいたら、もしかしたら参考になるかもしれません。

保険証問題

なぜ保険証をもっていない状態、つまりは前の保険証を返したのは良いとして、新しい保険証が手に入っていない理由が、①次が決まる可能性があるため、動きが遅れた。②雇用保険を活用する可能性があるため扶養に入れない。③国民健康保険に加入するには手続きが必要。基本的には、離職即 (14日以内に) ③か②の手続きに入るのが一般的なようですが、当然そんなもの知らないので、すぐには対応できませんでした。そうこうしているうちに、コロナと思しき風邪に感染し、ついでに花粉症の薬が少なくなっていて、そのダブルパンチで土日月に凄く影響でてました。まあ、必要なことではあるけど、いざその時がきたとしてぱっとはできなかったし、それをやる気力なんてわきませんわ。胸張ってできることでもやりたくてやったことでもないし、そもそもこんなこと慣れるようなことでもないし、慣れたいと思わないです。

喋れない問題

木曜くらいから、のどに違和感があって、ねばねば系の鼻水、感染症などを疑う状態で、声がおかしいことに気づいていました。一方で、この時点ではさほど咳が出るわけでもなかったので、外出する際は花粉症対策も兼ねてマスク着用で外に出ていましたが、土日になってから咳が出始め、喋るとせき込む状態で、上手くしゃべり辛い状態になりました。この状態をやり過ごすために、極力喋る必要のあることは避けるように動いたため、配信はできず、ブログにもあまり手が付きませんでした。自分が話題にした研究費の時も書きましたが、こういうデバフが地味に嫌で、パフォーマンスを落とされるから厄介に思います。土日を挟んでいたこともあり病院に行けず、なおかつ申請にも行けない状態で、薬なしで体力の回復を待つ必要があったので、それなりに大変でした。喋るだけじゃなく、ある程度体を動かしらりとか、人と関わるような場合は影響出るので、そこら辺を考えて立ち回る必要がでて、例えば引継ぎ関連の作業はほぼ停滞して、まったく薦められませんでした (二次感染を防ぐため、そちらに行くのを自重したため)。このような状態だと事業主状態だと収入に響いてくると思います。雇用されていれば有休という択がありますが、なくなってみるとやっぱりあってよかったと思います。

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