2025年4月3日木曜日

その選択を取れるのが羨ましいと言われ~自責でも他責でもないもの

前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしましたが、同じ業界の知人数名とこの話をしたとき、同情とか嘲笑があるのかな、と思ってましたが、私にとって意外なことに、「羨望: その選択を取れるのが羨ましい」という意見が多かったです。私としては、そんな風に思うんだと少し驚きました。

  • 同情こそすれど、明日は我が身だと自分事のように思って、とても笑いごとにできない。
  • 一般的に残された選択を、あまり魅力的だと思えない (ないしは魅力的な案件が偶然落ちていることが少なく、たまたま自分が引き当てられる保証が持てない) ことには激しく同意する。
  • それ以外の (自分が希望が持てる) 道を選べることが羨ましい、例え不完全なものであっても。
  • 先が見えない将来が不安だ。

例えばこんな感じの答えがありました。まず、今回の私のような状況になったら、まず生きること (自分以外の家族なども含めて) を、次に生活の水準をある程度以上上げること、次に何かを実現したりとか、何かを勝ち取ったり楽しんだりすることを目指すのだと思われます。しかし、人間はそんなに単純じゃなくて、頭ではわかっていても、簡単に気持ちの整理なんてできないと思います。理屈だけで割り切れるなら苦労しないでしょう、例え研究業界に進んだ高学歴な人たちであっても。そして、感情に捕らわれると、だいたい「自責」か「他責」に陥ると思います。

自責

  • 自分はダメだ (能力がない、環境が悪いetc)。
  • あのときこうしていれば (タラレバ)。
  • 自分は報われない等という諦め。
  • そこから付随して、やってもしょうがない。
その結果、自分の殻にこもるというか、外に出なくなる。出たくなくなる。関りを切りたくなる。

他責

  • アイツが悪い、アイツのせいでこうなった。
  • 制度が悪い、時代が悪い。
  • 運が悪かった。

その結果、他人を批判する。制度を変えようとする。何かを訴える。特に毒を吐いたりとか、悪く言う方向に動くことが多い印象。

傲慢のなれの果てに...

私がどちらにもなってないのは、自分が報われる未来にしか興味がないからです笑。自分を責めたら報われますか?→いいえ、もっと報われなくなると思います。他人を責めたら報われますか?→そういうことはあるかもしれませんが、時間がかかり割に合いません。という風に考えています。一言で言うと、傲慢なのでしょう笑。他人を変えるには時間がかかります。組織を変えるには更に時間がかかり、コミュニティを変えるにはもっと時間がかかり、社会を変えるにはそれ以上に時間がかかります。その時自分がやりたいことをできる立場にありますか?ということだけが重要だと私なら考えます。そして、他人を変えることができたとして、自分が報われないのであれば、私にはやる価値を見出せません。自分の屍で数万人を超える後に続く人を救うことに興味はなく、私は自分が一人報われるほうを選びます。現実問題、私の中では、私一人を成功させる道をただ探す方向が、他人や制度を変えるよりずっと早くシンプルに思うのです。ただシンプルに勝ちたい、生きたいと、けだもののごとく考えているようなものだと思います笑。それなりに追い詰められた局面で、謙虚さを発動して誰かに道を譲る優しさは、私には見いだせなかっただけのことです。私自身は、まるで哀れな乞食だなとでも思うこともありますが、どうやらそれが羨ましく見えることもあるんだなと。

適齢期は既に過ぎた者が、「研究業界の闇の深淵から」勝ちあがる道を探して

前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしました。これをみて、「会社が倒産したとか、リストラされた人と似たような状況だろ、若いんだから頑張れ」などと思う人がいるかもしれませんね。プログなんぞで乞食のようなことをするな、もっと頑張れなど。客観的にみると、研究業界で今の私のような立場に置かれている人は、一般にはもっと深刻ですよ。ここでは私が発信などという方法にすがることになった業界の背景のようなものを紹介します。

HUNTER×HUNTER3巻より


適齢期、年齢制限

(大学や研究機関といった) 研究業界とはいっても、分野や状況などによっては状況が異なりますが、適齢期のようなものとしては、35歳前後までに助教、45歳前後までに教授、せめて研究室主催者として独立している状態、くらいが一般的に思います。もちろん、例外もありますが。さて、私の状況をみてみると、現在38歳で、契約が切れて無職となっていますので、この時点でほぼ可能性はなくなってますね。

  • 在野の研究者でなどという考えもあると思われるかもしれませんが、実際経験したから分かったことですが、科研費といった国の助成金を受け取るためには、国が認定した研究機関 (大学や研究所など) に所属している必要があります。在野の場合は、基本的にはこの資格を満たせず、研究費を獲得したという実績がつくりにくい状態になります。無理やり同等のものをやろうとすると、それ相応に資金が必要になります。そして、このような機関に所属していなければ、論文 (研究業界の情報源) が入手できません。一応、論文は知り合いなどに頼んで入手したり、お金で買う方法があります。そして設備についても、自前で用意するのは大変です。研究資金、情報源、設備については、お金で解決することも可能ではありますが、全部やろうとするとそれなりの額が吹っ飛びます。これをやろうとすると、いきなりある程度余剰資金を持っている状態でなければ難しいでしょう。

私と似たような状況で、一般的な取り得る選択はこんなもん

  1. ワンチャン可能性に賭けて公募などに応募する。
    採否は必ずしも業績だけで決まるわけではないし、何が見られるかは採用元によって異なるので、もしかしたら可能性があるかもしれません。
  2. 任期付き職 (一般には研究員) を定年前後まで転々とする。
    これは研究自体は続けることができるはできますが、待遇があがることは考えにくいです。非常勤職であり、常勤職に比べて一般に給料が安く、手当等も少ないことが一般です。所属元の上司などの状況に左右されるので、上が定年になれば異動する必要が出るなど、外的要因の影響を受けやすく、不安定になりやすいです。海外でやろうとすると、ある程度以上の年齢になってしまえば実質片道切符で、そちらに骨を埋めるというか、二度と戻れない覚悟で行くような状態でしょう。若ければ次のチャンスがそれだけありますが、若くなければ地に足をつけて生活することを考えなければなりません。
  3. 常勤ではあるが研究をサポートする職に就く。
    技術職員のような職であったり、研究支援要員であったり、最近ではサイエンスコミュニケーターであったり、何かしら研究や科学とか学問全般と一般を繋ぐ部分に相当する役割が多いかもしれません。
  4. 研究関連の業界に転職する。
    経験が生きる可能性がある業界なので、転職するとしたらこのルートが一般には多いと思われます。一方で、企業等であっても研究関連のポジションは枠が少ないことが多く、分野によってマッチするしないがあるでしょう。例えば、有機化学は比較的枠があると思いますが、理論物理のような分野は枠が少ないと思われます。たまたま自分が探していた時に求人が出ているかといった、タイミングが重要に思います。
  5. 別の業界に転職する。
    別の業界は別の業界で、所謂中途採用ということになりますね。その業界で長く続けた人や、めぼしいスキルをもった人との競争になるでしょう。政治家とかになるのもある意味この枠に思います。
  6. 起業する。
    この選択は珍しいと思います。個々の状況によるので何とも。
  7. 家業を継ぐ
    家族、親族などで何かしら事業をしている場合、会社であろうが、農家であろうが何でも良いですが、家族が持っているものを引き継いだりする選択。これはそういう人が身近にいる場合に取れる選択ですね。
  8. 家庭に入る
    専業主婦、主夫になる選択です。既婚者であり、どちらかに収入がある場合はこの選択がとれるでしょう。
以上紹介して何が言いたいかというと、中途半端に通用して登れば上る程、上手くいかなかった場合に、研究で妥協して何かするのも、他の道に進むのも難しくなると思われます。ここら辺はあくまで私の認識ではありますが、現状とそんなにずれてはないと思います。

で、お前は発信をどうしたいの?

ここまでは一般の話、これからは私の話です。見るべきは統計のN (全体の傾向) ではなく、外れ値 (個) だと思います。やっぱり、研究の第一線でやりたかったし、こんなブログ書いてるくらいには未練タラタラですね笑。そうすると、今の私のすべきことは、何でも良いからお金を作ることだと思います。まずは生きなければなりません。生きるにはお金が必要です。ここまで紹介した中で、今私の持っている手札を見ると、研究の職は失ってしまったものの、投資家 (主に株)、発信 (ブログ及び配信) が残ってますね。そしてこの発信というカード、収益化できる状態にある。ならば、株だろうが失業保険だろうが何でも良いから少し浮かす (一定期間生存する) 状態を作り、ブログを稼働させよう、と考えました。一旦2の選択で任期付きの仕事をやる可能性は充分ありますが、その後の道を作るために、暇になった今ブログを触っておこうと思うのです。

  • さて、研究の業界をいったん離れてから戻るならば、ずっとやってきた人とは別の武器を持っていく方が望ましいですね。差別化のために。勝つためにな何か勝ち筋が必要です。そうすると、発信ってカードが使えると思いました。研究業界以外からもお金を引っ張ってくれば、取り込めるお金の期待値は研究だけを見た場合を上回ると思われます。これは市場の話で、ニッチな市場か、一般的な市場かという話と似ていると思います。
  • お金だけつくるのでしたら、例え苦労しても一度お金を作ることに集中して戻ることを考える人がいると思いますが、この選択は私は現実的に思いません。たとえば研究をサポートする側にの仕事については、[選択] 研究者のキャリアにうまくいかなかったら、サポートする人を目指す的な考え、私は200%受け入れない、で書きましたが、メンタルが壊れる、感情的に耐えれないと思います。感情を壊れたもう若くない奴に何ができるの?って思います。感情が壊れたらもう詰みでしょう。そうなれば、生きるための仕事にしがみつく選択くらいしか残らないでしょう。ある意味、夜職のような仕事を頑張るとか、複数の仕事をかけもつとか、マグロ漁船といった体は酷使するものの一定のお金を稼げるルートを選ぶのは、もう若くない今やるべき選択ではないと思います。心や体を壊したら、もうただ生きる以上を目指すのは難しいでしょう。そういう道に進みたいですか、と言われたら私は嫌です。勝ちたいから、心と体は意地でも守り通ります。

HUNTER×HUNTER3巻より


少し浮かせて、壁を壊して近道をしたい

今はまだ配信で生活できるほどのお金が手に入ってないけど、早い段階で壁を壊せれば、近道に繋がっていると思うのです。やっぱり、遠回りなんてしたくないです。例え乞食のような振る舞いをしようと、勝ちたいものは勝ちたい。先がないと諦めた未来より、篝火のようなものであっても、先を期待できる何かへ向かいたい。それでこんな選択になりました。今回挿入したHUNTER×HUNTERのシーンのような状況に立っている印象です。自分でやるのは癪ですが笑。


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2025年4月2日水曜日

感情を込める発信へ: 意図しない方向に曲解され、裏目に出る怖さを超えて

研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失った後のブログ投稿では、ある意味作風を変えて、ある意味感情を込めるというか、魂を乗せると言いますか、そういう人としての心の部分をねじ込む形が中心になるように切り替えました。元々、研究が本業だった時は、そこまでリスクを取らずに、ブログはついで的な感じで取り組みたかったです。表に出した情報が、第三者を経由して意図しない形で拡大され、それが裏目にでるのは私も正直怖かったですよ。

発信がもたらす怖さと不安

どんなにこちらが気を付けて発信しても、情報を解釈するのは他人です。その結果、「解釈」というフィルターがかかって、発信した側が意図した側とは違う意味が肉付けされてしまうことがあります。例えば、研究が本業だったころは、論文や特許のような形で公式に発表されていない研究内容の発信はしない (プレリリース的な投稿はしない)、機密情報は当然として、プライバシー等に係る情報は発信しないことを遵守してましたが、人によっては、ブログなどという媒体で少し何かを書くだけで、情報をダダ漏らしにしているように、「読みもしないうちに決めつけて」しまう人も一定数いると思います。文章の一部がどんな形で切り取られ、どんな風に使われるかはわかりません。そういうリスクをはらんだ行動だと思います。正直、多少なりとも不安はあって、本業ではないことを言い訳にしながらふわふわやっていました。

  • 誤った解釈、中でも自分に不利な解釈が伝わって変なイメージがつくかもしれない。
  • 伝聞のなかで更に曲解されて、猶更よからぬイメージを持たれるかもしれない。
  • その結果、研究をやる上でマイナスに働く可能性、最悪干されるかもしれない。
  • 突き抜けたら突き抜けたで、扱いにくい奴、というレッテルを張られ、それが不利に働くかもしれない。
  • 仮に私のブログが犯罪者に取り扱われたら、実際は何も関係なくても、私まで犯罪に関わっているようにみられるかもしれない。

未来を紡ぐために、感情を乗せる覚悟を決めた

このようなリスクがあったので、正直、これまでわざと中途半端にやってきました。もっと具体的に言えば、所謂バズるような投稿を避けるようにやってました。実験科学者としての仕事みたく、事実を淡々と描く形態、グルメや観光、考え方的なコンテンツのほぼ全てで、写真と言った第三者的にあるいみ客観的にみれるコンテンツを出して、解釈はそっちで勝手にしてね、的な方針でやることが多かったです。ところが、いろんなものを失い、このブログに再起、私の明るい未来への足掛かりを託すことを考えると、心の部分を乗せる覚悟を決める時がきたな、と思いました。そしてそれを乗せた結果、この前の二回分のコンテンツは、研究の世界を超えて広く一般に届き得る内容で、私の過去の投稿と比較すると、圧倒的にバズる可能性をもったコンテンツになった、逆に言えば後に引けないものを出してしまったなと、やってる側としても不安がありますよ。多くの人に見られるかもしれないコンテンツにしてしまうということは、それ相応にリスクを背負うことを意味すると自覚しています。コアなコンテンツに留めない場合、全く関係ない人に二次的、三次的に曲解されるリスクをはらんでいます。もし私を雇う人がいたら、こういうの書いた人を知ってて雇ったってことだよね、とその人らが言われる可能性をはらんでいると思います。実は失ったものの方が大きい可能性すらある行動に思います。

やらないで後悔より、やって後悔

それでも、私が興味があるのは私が報われる未来、私にとっての明るい未来です。その光明が少しでもあるなら、それに賭けてみたいと思います。定年と言われるような年齢まで任期付き研究員を転々としたり、研究をサポートする未来は正直嫌だし、実現可能性や具体的な形態はともかくとして、お金を集めて直接ボスになる道のほうが私には魅力的に思います。色々失った結果、犯罪などに走ったり、復讐に捕らわれる人、ふさぎ込む人もいると思います。自分もある意味そういう人らに似て、ガンギマリ状態にでもなっているかもしれないけれど、まだ自分の可能性に賭けようとしている点が違うのかなと。これまでも、ただ勝とうと可能性を信じて走ってきたつもりです。発信もまた、試行錯誤はあれど、その一つだと思います。自分の可能性にかけて、犯罪にならない方法で挑戦するなら、「やらないで後悔するより、やって後悔する」道の方が良いと思います。そのための道筋ならば、恥を捨てて乞食にもなりますよ笑

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[選択] 研究者のキャリアにうまくいかなかったら、サポートする人を目指す的な考え、私は200%受け入れない

爆弾発言二つ目、前のに「[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました」という投稿をしましたが、それを読んだ人の中には、「研究の道でうまくいかないなら、研究する人をサポートする道を目指したら?」と考える人が一定数いると思いますが、それは私にはありえない選択だ、という話を書きます。そういう仕事をバカにしたり下に見たりしているのではなく、私にとってそういう選択は、「発狂しそうなくらい感情が爆発して仕事にならない」と思います。

良かれと思って、サポートする道を提案されることに対して。

現時点でこのような提案をされていませんが、仕事まで飛んだ私に対して、良かれと思って「研究の道でうまくいかないなら、研究する人をサポートする道を目指したら?」的な感じで、例えば技官 (技術職員、テクニシャン等) 等の仕事をしてみてはどうか、とかそういう仕事なら紹介してあげるよ、と声をかけられることはありそうだと思います。まず大前提として、研究をサポートする側の仕事をバカにしたり、下に見るつもりはありません。こういう人たちは研究に必要な人だし、自分が研究をしていた時もお世話になったし、一定のリスペクトもしています。給料が発生する時点で、その仕事は必要とされていますし、評価されていると思います。かつて研究をやっていた経験があるのならば、研究に何らかの形で携わったら良いのではないかって考え方。ある程度研究への理解はあるだろうし、マッチングも良いのではないかと思って、厚意から、こういう仕事もあるけどやってみたら的な感じとか、研究に何らかの形で携われるなら、別の形ではあっても研究で発散したら、などといった案件、基本的に全てお断りすると思います。そういう類の提案は私にとって、ある意味死体蹴りみたいな受け取り方になります。「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」に近い受け取り方になってしまうと思います。

能力的な適正云々関係なく、それをやると心が壊れるからダメ

サポートする道がなんで嫌かって言うとですね、自分はプレイヤーとして勝とう、上を目指そうと思ってやっていた側の人間なんですよね。実際できていたかはともかくとして、そういう思いをもってやってきたと。サポートする側の道って、研究には関わることができても、自身がプレイヤー側として関わってきた人やものに、「自分がプレイヤーとして関われない」世界線でかかわっていくってことになるんですよね。例えば、技官であったら、研究の現場で実際に現場で手を動かすといったことはできるけど、自身の主導のプロジェクトを回す形ではなく、自分ではない誰かの考えたプロジェクトのある意味手足としての参画になると思うんです。漫画の世界で言えば、漫画家になりたいのであって、プロのアシスタントをやりたいわけじゃないって状態に近いでしょうか。他の例だと、高校野球で、選手としてある時までレギュラーで出ていた人が、ある時チームのためにベースコーチに入るとか、スコアラーだとか、ベンチでチームを鼓舞するとか、そういう役割をやってくれって言われる状況と似ているかなって思います。そういう役割は大切な役割だし、チームとして必要とされていると思います。だけど、私はこの状態で仮にチームを勝たせたとしても、一緒に喜べないって思います。その提案をされたら、私ならチームを辞めるとか、別の形で上を目指すとかを考えると思います。あくまでプレイヤー側としてやりたかった世界線を、目の前でそれを見せられながらも、自分が関われない現実を受け入れ、支える役割は私には耐えられません。その立場になったら、自分がありたかったこと、やりたいこと、それができないもどかしさ、怒り、いろんなものがこみ上げてくると思います。歌だと、ポルノグラフィティのアゲハ蝶とかが感情的には近いと思いますね。実際にやらなくても、考えるだけでものに八つ当たりしそうにな気持ちになるし、それを吐き出しても、押さえつけても、発狂しそうになるくらいいろんなものが出てきます。

選択はスペックではなく、心が決めるもの

私も含めて、感情がある一人の人間です。能力、適性、経験、そういったものはありますが、盤上の駒みたく、スペックだけで決めれるものではないと思います。能力的に向いていること、向いていない事は誰でもあるでしょう。それ以上に、納得ができるのか、満足ができるのかといった感情の要素の方が大きいと思います。能力的には向いていて、期待されていたとしても、心が受け入れられないことをやったら人は壊れてしまうと思うし、私もそうだと思います。だから私は研究をサポートする側の道に進む気持ちはありません。そんな優しい選択は、私にはできないと思います。やるなら自分が達成したいと思うから。サポートする側の人もそこに至るにはいろんな経緯があると思うし、自ら進んでその道に入った人もいると思います。そこについてどんな風に思うのかは個々に違うと思います。私のように考える人もいれば、そういう考え方はしない人もいます。どんな仕事をやるにせよ、成果をつくるためにはやりたくてそれをやっている人との競争になると思います。人間、結局は感情です。心を壊しながら走る人生の意味ってなんだって思います。人間に対しての采配に限ればね、感情を考えない采配ってね、基本的に勝てないと思いますし、なにかずれていると私は思います。

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2025年4月1日火曜日

[不服の極み] 研究室主催者の最終選考で落ちた結果、研究費と仕事を失いました

4/1の投稿なので嘘であって欲しいのですが、タイトルは嘘ではありません。表題の通り、私は昨年末に某所で研究室主催者の選考が進み、最終選考で落選しました。その結果玉突きでいろんなものを失い、絶対に許せん、という気持ちです。不満や未練は尽きませんが、人生を諦めるつもりはありません。この怒りは勝つために叩きつけようと、私の切れるカードの中に発信があったので使ってみようと思った次第です。

  • 想定していた受け入れ先がブログとのマッチングが良くない可能性があったので、これまで投稿を控えていましたが、やめにします。
  • 所属元も私がうまく進む方向で協力してくれ、成功した場合にスムーズに移行できるように私の雇用契約が2025年の3月末で終了する形で進めていたことが裏目にでて、雇用を延長できず、なおかつ猶予1か月前後で次の職を探す形となりました。正直、寝耳に水です。
  • 1か月前後の猶予でゼロベースで研究ができる環境を探し、いくつか応募しましたが、4/1時点でどこにも採用されず、無職となりました。
  • 私は獲得していた研究費 (科研費) があったのですが、制度上研究費を受け入れ可能な研究機関に所属している必要があり、年内のどこかで1日でもそのような機関に所属していない場合、その研究費は廃止となるとの事です。結果、不本意ながら私の取得していた研究費を廃止にせざるを得ませんでした。
  • こんな形で研究を終えるとするなら、不満しかない。晴れやかな気持ちで去るとか、できるわけないだろと思います。

まず不満を吐き出す

成功失敗は結果論で、出た結果は覆すことはできないけど、内心「理解はできても納得はできない」状態です。研究費然り、不本意ながら自分が作ってきたものを自分の手で終わらせざるを得なくなり、怒りであったり、やるせなさであったりと、いろんなものがこみあげてきて、正直なかなか進めませんでした。やっぱり私も感情のある人間なので、この状態で淡々と前に進めるかって言われたら、できませんでした。「断腸の思い」というのはこういう状態なんですかね。自分の人生はこんなものだなんて認めたくないし、自分はダメだったみたいな一言で納得できるわけもないし、怒りとか、不満とか、そういう気持ちばかりがでてきます。頑張ったけどダメでしたとか、一生懸命やったことに意味があるだとか、そういう言葉をもらっても何の気休めにもならないです。勝てなっかった結果をもって、それでよかった等とは、この件に関しては絶対に思いません。

私が報われる未来にだけ興味あるので、犯罪とか〇〇キャンペーンはしない

怒りをぶつける先を強いてあげるなら「システム」だと思います。現状のシステムの中で、結果として私が貧乏くじを引く羽目になったといったところでしょうか。私の元所属先、強力してくれた方々、受けたところとその関係者、結果として競合することになった関係者が「私を陥れたか」と問われたら、違うと思います。私が興味があるのは私が報われる未来です。誰かを手にかけたり、あばれたりしたところで、私の欲しいものは手に入りません。じゃあシステムを変えるために何かをするか (例えば政治などに関わる) と聞かれたら、しません。システムが変わったところで、恩恵を受けるのは、後の世代の人たちです。後に続く人を何万人救おうと、感謝されようと、自分が一人報われなければそんなことをやる意味がないと私は思います。傷のなめ合いだとかお酒を含め、何かに逃げることにも興味ないです。それをやっても何も手に入らないので。勝ち取ることに興味があるのであって、宗教に深入りするといった精神政界の中で満たされる方向を目指す気がないです。私は自分の人生を諦めていないし、今諦めるつもりも腐るつもりもないです。

手元にに残るカードを振り返って

だとすると今の自分に何ができるのかを真剣に考えてました。どんなに能力があってもそれを発揮できる環境がないと何もできない、努力や才能より縁や運の方が強いと、修士のときの指導教官と上手くいかなかった経験を経て、常々思っていましたが、結果として再びそういう状態になってしまったと思います。戦時中といった生きるだけで精一杯と思しき状態ではないけど、健康な体と、安全な環境があるだけ、こんなもので何ができるのかと、一度自暴自棄っぽくなったときもありました。周りでだれかが成功を勝ち取る中で、ただ生きているだけで満足せよ?ふざけるなと思ってました。しかし、「健康な体はあり、決して能力を失ったわけではない」か、今の自分にまだ残っているものは何だろうと思ったとき、まがいなりにも発信者 (ブログと配信など)、投資家ではあったなと。そして偶然にもどれも収益をもらえる状態にはあったなと。発信者の世界を見渡せば、どうやら成功している人より、失敗した人や何かしら可哀そうな環境にある人のほうが、投げ銭だとか、見る側や聞く側の協力を得ていることが多いことに着目しました。ならば成功を掴む可能性に賭けて、このカードをきってみようと思った次第です。

今の私でも同情と嘲笑をもらえると思った。だからこの気持ちをこのブログに書こう。

ということで、応援よろしくお願いします笑。AIにある広告の最適化をしてもらったので、閲覧が事実上の投げ銭になります笑。


Q. 似たような境遇の人はこういう方向に...

A. 一般論 (前例や標準的な道、所謂統計のN値) の話をているのではなく、私 (特異点、統計の外れ値) の話をしています。他の誰が満足していようと、私の人生は私が納得する道を目指すものです。


Q. 思ってはいても黙っている方が得なんじゃないの?

A. もし、研究を続けようとした場合のキャリアの上振れが、「任期付き研究員を転々とする」やそれに似た形だとしたら、私は「それでは満足できない」と思います。もっと美味しいものを目指すには、この話をネタに使って賭けに出る方が良いと判断しました。現実問題、この投稿を書いている時点で私は38歳であり、学位取得後、標準28歳前後の人と競合する場所で同じように勝負するのは得策だと思いません。このようなことを書くことによって、雇用される際に何かしらのデメリットを受ける可能性と、吐き出した結果成功する際のリターン (資金を得て経営者になるルート) を天秤にかけたとき、出すほうが良い、と考えた次第です。


Q. 遅かれ早かれ、任期切れになるよね?ただそれがこのタイミングだっただけじゃないの?

A. 確かに元所属だと、どんなに延長できても所属元のトップが定年退職するときで、帰還だけを見ればさほど変わらないでしょうね。ただ、その日が分かっていて緩やかにそこに向野と、突然ぷっつり切れるのは違うと思います。


Q. 分相応だと思って受け入れたら?あなたの成果、実績だとまあそんなもんじゃないの?

A. 痛いご指摘です笑。正直実績だけを生真面目に評価すると、私は高い方だとは思いません。最も、成果や実績は下駄をはける要素ではあると思いますし、何をもって評価するにも変わってくると思われます。別に私は他の成果を出している人を否定しているわけではなく、何かしらの方法で自分が活躍するなにかを作りたいということです。自分はこんなものだと考えて、より小さい器でいきるつもりがないし、だれがが決めた「お前はこんなもの」という器では、私は満足できないということです。

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